文鳥  

8.「顔」

(カブキ団十郎……か。)

黄泉は目障りなその男の名をもう一度唇だけで呟いた。

目の前の男は、語り終え力が抜けたらしく、卑屈なくらい自分の前にひれ伏している。

話は判った。どうもこの菊五郎という男はカブキの舎弟であるようだが、カブキのやり方に反目し

あわよくば自分が火の一家の頭目に納まりたいという事だ。

それだけの野心があり、今までもそれだけの根回しもしてきたらしいが

しかしカブキほどの実力は無く、またカブキほどの人望も無いらしい。

まあそれはどうでもいい。目の前の男に興味は無かった。

黄泉が面白い、と思ったのは、今火の一家の中に、諍いの火種が出来た事だ。

この火種を上手く煽り、更に大きく飛び火させれば、今度こそ近江の縄張(しま)が我が手に落ちるのではないか。

黄泉は以前から近江の縄張を狙っていた。

近江だけではない。この西の国全てを手中に収めるのが、当面の黄泉の狙いである。

無論そこで終わらせる気は無い。いづれは東にも勢力を伸ばし、最終的にはジパング全土を自分の支配下に置くのだ。

そして、紀伊、伊勢、浪華、丹波、因幡と落とし、やっとこの手に京を収めた。

いよいよ東への足がかりと、近江へと当たりを付けた所に、予想外だったのがカブキ団十郎の存在だった。

近江ごときの小さな縄張、直ぐにでも落としてみせようと何度も仕掛けてみたが

その都度兵隊はカブキと火の一家に手ひどく痛めつけられた。

黄泉の配下は近江に足を踏み入れる事も叶わず、

よって黄泉の西を手中に収めるという計画は、今ここに来てカブキ団十郎のお陰で頓挫しているのであった。

「……それで、菊五郎とやら、お前はこの私にどうして欲しくてここに来たのか?」

黄泉は脇息にもたれたまま菊五郎に問うた。

「ヘイ。今申しました通り、あっしはカブキ団十郎を殺る覚悟です。しかし今の自分にゃあその手立ても力もございません。

黄泉様に何とかお力を借りして、カブキを仕留めさせていただきてェ。

あっしが手引きさえすれば、カブキも、又今カブキの傘下にいる火の一家も根絶やしにできるってもんで」

「……お前はカブキだけではなく、自分の身内まで私に売るつもりか。

それで?火の一家を根絶やしにした所で私にどんな利点があるというのだ?」

「へぇ。近江は黄泉様のお手に入りやす。そこで……へへ、あっしを黄泉様の舎弟に加えていただき、

近江の縄張りを任せていただければ、と厚かましくも考えておりやす。」

「フン。双方の利害が一致したということか。

……良かろう。お前の話を買ってやる。近江の縄張と引き換えだ。

しかし、そのためにはまず、死体が何個か必要になるぞ。お前にそれが出来るのか?」

「へ……へぇ?!し、死体……ですかい?」

「そうだ。カブキ団十郎を引きずり出す事、死体はそのための餌となる。お前の仲間の死体を何個か作れ。まず話はそこからだ」

事もなげに黄泉は言って、つまらなそうに煙管の煙を吐き出した。

覚悟してきた事とは言え、菊五郎の背中に冷たい汗が噴出す

(コイツは……このお人は本当に恐ろしい。カブキなんざ目じゃねえぜ。

ええい!乗りかかった船だ!ここで降りたら俺がその死体になっちまわあ。)

「かしこまりやした。では、二日の間にカブキの可愛がっている舎弟の仏を作って参りやしょう」

唸る様に菊五郎は返答した。

その様子を見て、黄泉は初めて満足そうに、切れ長の目をすうっと細くして、笑った。

 

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カブキ団十郎は、いつもの女の家でその話を聞いた。

目の前にはカブキの腹心の部下が数人。口をきくものはいなかった。

カブキはなじみの女、小真木の膝に頭を乗せ、横になったまま押し黙っている。

火の一家には、きちんとした屋敷があったが、カブキがその屋敷に居る事は少ない。

小真木の様な女を何人か抱え、それらを転々とするのが常だった。

理由の一つは、自分が一つ所に留まる事を好まないのと、

もう一つには、一箇所に留まる事により、襲撃の可能性が高まる事を嫌ったためだ。

その日何処の女の所に行くのかは、腹心の子分にしか明かさなかった。

三年橋の一件で、卍丸がカブキを捕まえる事が出来なかったのはこのためだ。

「で、殺られたのは今の所、彦佐と雨の二人だけなのか?」

沈黙を破って、天井を向いたままカブキが口を開いた。部下の一人がそれに答える。

「へえ。今の所は……です。これで収まってくれれば、の話ですが」

「下手人は挙がってねぇんだろう?これで収まるって話はちと甘いな」

「……て事は、殺しはまだ続くって事ですかい?」

部下の間に緊張が走る。皆顔を見合わせて気色ばんだ。

「だろうよ。下手人を泳がせておけば、の話だがよ」

「ですが……彦佐も雨も、殺られた所は見られてないんですぜ。下手人を挙げるのにはまだ時間が……」

「彦佐も雨も、刀傷じゃあなかったって言ってたよな」

カブキは小真木の膝から頭を起こした。

「へえ。二人とも、傷は小さい穴のようなモンで、……穴の周りの着物がちいと焦げてやした。」

間違いない。カブキの瞳の光が増した。

「……ソイツは黄泉の仕業だぜ。

しかし今になって何だって仕掛けてきやがる。でけえ戦になるのはあの野郎も嫌がるハズだと思っていたが」

黄泉の名前に部下の間の緊張が一層高まった。

「カブキ親分……これは、京からの宣戦布告という奴ですかね?」

「判らねぇ。自分から仕掛けてくる様な奴だとは思わなねぇがな。

昔はともかく、今はアイツも表向きは堅気を装ってる。面倒や戦は避けるはずだが……」

とすれば、事情が変わったという事か。何にせよここで手をこまねいていても何も掴めない。

「仕方ネェ。俺が京まで行って来らァ」

カブキが言った一言に、驚いた部下達が口々に声を上げる。

「親分!」「止めてください!」「行くのならあっしも一緒に」

「うるせぇ!!」

一斉に声を上げる部下達にカブキが一喝した。

「いいか、俺が気になるのは黄泉のやり方だ。彦佐と雨を殺った傷は黄泉の扱う飛び道具に違ぇねえ。

あんなモンを使うのは根の一家しかいねえんだよ。

だとしたら、何で根の奴らは一目で判る方法であの二人を殺りやがったんだ?後々面倒になるのは決まってる。」

ここまでいってカブキは一旦言葉を切った。部下達はめいめい顔を見合わせた。

「俺は黄泉の奴が、わざと判りやすいように傷を残してったと踏んでいる。

つまりあの野郎はこの一件に俺を引っ張り出そうとしてやがる。

何か裏があるに違ぇねえ。俺が黄泉に会わなけりゃ奴の狙いも判らずじまいだろうよ」

部下達が押し黙ったまま自分を見つめるのを見回すと、カブキはいつもの様ににやりと笑って続けた。

「何ぁに。流石の黄泉も、俺に簡単に手を出す事ぁ出来ねえだろうよ。

そんな事をすりゃあ完全に宣戦布告になっちまわあ。でかい戦は黄泉も望んじゃいねえ。

俺はそれより、俺がいなくなった後の近江が気になるのよ。

アイツは俺を引きずり出して、近江で何をしようとしてやがる。

お前らに頼みてぇのはそこだ。俺がいねえ間、近江と一家を固めといてくれや」

カブキが語り終わった後、言葉を発する者はいなかった。

(幾ら大将を討ち取りに来るはずが無いと踏んだとしても、敵地に自ら一人で乗り込もうとは

……矢張りこの方の胆の座りは違う)

部下達はめいめい、改めてカブキ団十郎の肝の太さに感じ入った。

そして一時の逡巡の後、矢張りそれしかないと結論が出たのだろう。

ややあってから部下の口々から

「判りやした」

とため息混じりに返答が聞こえた。

 

 

「本当に京に行っちまうんですか?団十郎様」

部下達が引き上げた後、燗の仕度を調えながら、少し鼻にかかった甘い声で小真木はカブキに話しかけた。

「……うん?あぁ。まあ、俺が京に出向かなけりゃ話が始まんねぇだろうからよ」

カブキは横になって小真木に背を向けたまま答えた。

少し沈黙が流れた後、気をとり直した様な明るい声で小真木は話し始めた。

「ネェ、あたしも着いて行っちゃあ駄目かしら?京なんてあたし話しか聞いたこと無いもの」

「オイ。小真木、先の話を聞いてなかったのか?女が着いてくる様な時じゃァねえんだよ」

ため息混じりにカブキが身を起こす。

「……」

小真木は再び黙り込んだ。カブキは小真木の方に向くと

「何ぁに。心配する事ぁねえよ。ホンの二、三日だ。

さっきも言ったろう。根の一家はおいそれと俺には手は出せねえよ。

まっ、京から気の利いた土産でも買ってくるからよ、それで勘弁してくれや」

と、とりなすように話しかけた。

「……そんな事を言って」

拙いな。泣かれるのか?面倒は御免だぜとカブキは軽く肩を竦めた。

すると俯いていた小真木はやおら、きっ、とカブキに顔を向けると

「そんな事を言って、本当は、京の女と遊んで来るんじゃァ無いでしょうね!」

と声を荒げて詰め寄った。

思いも掛けない小真木の言葉に、カブキは一瞬気を抜かれ、それから

「はははははは!」

と天井を仰いで大声で笑った。

小真木はまさか笑われるとは思わず、眉を顰めたまま今度は顔を赤くしている。

「何よう!あたしは本気で……本当に気が気じゃあないんですからね!」

カブキは笑いながら(いや、本当に女ってのには恐れ入る)としみじみ思った。

こんな時に京の女の心配か。このたくましさ、この生命力が女の強さって奴だ。どうにも敵う気がしねえ。

「馬ー鹿。女と遊べる時間があるもんか。……いやいや、作ろうと思やぁ、島原辺りにゃあ行けるかぁ?」

「もう、茶化さないで!あたしは本当に……」

小真木が最後まで言い切る前に、カブキは小真木を抱き寄せた。

「お前はつまんねえ心配なんぞしなくて良いんだよ」

耳元で囁くと、手馴れた様子で帯を解いていく。

女ってぇのは、全くカワイイ生きモンだよな。カブキは改めて思った。

小真木が特別という訳ではない。カブキは女全般の強さ、弱さ、可愛らしさをを愛していた。

逆に言えば、カブキにとって女は誰でも同じだった。

女を抱く時も、顔など見なくても別に良かった。どの女も平等に愛しているからだ。

(どの女も皆、俺を慰め、悦ばせてくれる。それでいいじゃあねぇか)

カブキは常にそう思っていたのだが、今夜は矢張り先ほどの京往きの話が頭にあったのだろう。

これで小真木を抱くのも最後になるかと、少し心が動いたか、ふと、自分に躯を預けている小真木の顔を覗き込んだ。

と、次の瞬間、カブキは何かに驚いたようにビクリと体を震わせ、思わず小真木の体から飛び下がった。

「……団十郎様?」

衿を乱したしどけない姿の小真木が、不思議そうにカブキを見つめている。

今度はちゃんと、小真木の顔だ。

カブキは今更ながら、自分の動揺振りに驚いた。

「……すまねえ……」

息を整え、再び小真木を引き寄せた。今度は顔を見なかった。

……さっき、小真木の顔を覗いた時

うっとりとカブキの腕の中で、目を閉じて抱かれていた顔は小真木ではなかった。

 

卍丸だった。

 

カブキはその顔を振り払うように小真木をきつく抱きしめた。

 

 

文鳥9「黄泉路」へ続く。