文鳥
5.「夜目」
あの餓鬼ふざけやがって今度あったらタダじゃ置かねぇ覚えてろ
と、助太刀して貰った事をすっかり忘れて、カブキ団十郎は悪態をついた。
足元には6人が転がっている。命こそあるがどいつも皆虫の息だった。
当分起き上がれそうにない位叩きのめされている。ちょうど半分を自分が料理した勘定である。
後の6人は卍丸を追って走っていった。
伸びている男達を眺め、覆面を取ってやろうかと思ったが、止めた。
顔を見られたと思えば、今度は奴らは命がけで自分を殺しに来るだろう。
これ以上敵を作るのも利口ではない。これだけ叩きのめしておけば、しばらくは大人しくなるだろう。
落ち着いてみれば、今ここに五体満足で立っていられるのは卍丸のお陰だ。
三年橋の袂に黒く浮かぶ人影を認めた時、カブキは無傷でいられる事を諦めたのだ。
そう思えばこそあの卍丸の引き際が余計に腹が立つ。
逃げていった卍丸の後姿を思い出して、カブキは又
『運があったら又会いましょう』だと?ふざけんな。今度会ったら手前こそ叩きのめしてやる
と毒づいた。
しかし待てよ、と冷静になったカブキが思い至った。
『運があったら』と卍丸は言った。それは俺に『運があったら』なのか?
もしかして手前に『運があったら』じゃあねえのか?
ひやりとした手にうなじを掴まれた気がした。
やはりどう考えても合点がいかない。
あんな風に俺を切り捨てて行くつもりなら、最初から関わらなければ良い事だ。
卍丸は俺を助太刀に来た。そして実際半分の敵を引き連れて去っていった。
俺は俺がやったようにアイツも敵を討ったと思ってる。しかしアイツは本当に黒装束をやれてるのか?
あの野郎……もしかして。
もしやあいつ等とやった時、どこかに怪我でもしやがったか。
俺の足手まといにでもなると思って敵を連れて行きやがったんじゃねぇのか。
考えたくも無い。ならば俺を見捨ててさっさと逃げてくれていた方がまだマシだ。
しかし考えれば考えるほど、何の理由も無く卍丸が逃げて行ったとは考えづらい。
(畜生……!!)
カブキは今度は違う悪態をついた。
そしてすっかり日も落ちた中を、卍丸が駆けていった方に向かって走り出した。
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もう何度目かだろう、卍丸は派手に転んだ。
まずいな。完全に暗くなった。何とか於荷屋までたどり着きたかったが。
周りが見えないなら尚更、これ以上は走れない。どこかに身を潜めて奴等をやり過ごすしかない。
(運があれば……だ。)
卍丸は手探りで、身を隠せそうな場所を見当つけた。
黒装束は自分を諦めて引き返すか。それとも虱潰しに探しに来るか。
もはや運を天にまかせる事にし、壁と壁の間と思しき所に身を潜め、息を殺す。
(あの人は上手く立ち回れただろうか)
自分を追ってきた人数は6人。残りも同じ人数だ。あの人ならそれ位どうにかできるだろう。
(しかし俺を探しきれない黒装束が、カブキさんを仕留めに戻らなきゃいいが。早くあの場所から逃げて欲しい。)
そんな事を考えていると
『そっちに居やがったか?』『イヤ、見つからねぇ!』『見つけるまで戻るんじゃねぇぞ!』
と言う声が聞こえた。
(少なくてもカブキさんの所に戻るつもりはないらしいな)
薄く笑ってから剣を握り締める。もう、なるようにしかならない。
ばらばらと走り回る足音は依然自分の周りから去りそうに無い。
何時まで持つかと気を張った時、思いもかけない近くから、じゃりっ、と土を踏む音が聞こえた。
しまった、とそちらを向いた時には腕を掴まれていた。
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カブキは走りながら、今夜が月の明るい夜で良かった、と思った。
すっかり日の落ちた今、頼りになるのは月明かりだけだからだ。
街中や繁華街ならいざ知らず、この辺りに灯篭や提灯などあるはずが無かった。
あるのは道の脇に続く白壁と、ススキの生える野っ原、そして寂れた稲荷だけだ。
月の無い夜ならば、それこそ鼻をつままれても判らないほどの漆黒の闇に包まれる。
幸いな事に今夜は白々とした月が昇っていて、辺りの景色が良く見えた。月明かりが壁に当たって白く光っている
と言うことは、追っ手にもこちらの姿が丸見えと言う事だ。カブキは油断無く目を配りながら走り続けた。
もう少し走りきれば、於荷屋に続く大通りに行き当たる。卍丸はそこまでたどり着いただろうか。
すると白壁の向こうから
『そっちに居やがったか?』『イヤ、見つからねぇ!』『見つけるまで戻るんじゃねぇぞ!』
という声が聞こえた。
卍丸の野郎、まだ捕まってねえんだな、と安堵すると同時に、まだ逃げ切れてないのかと危ぶんだ。
この辺で見失ったって言ってやがったな。アイツ等より早く卍丸を見つけねぇと拙いぜ、と、辺りをうかがう。
高下駄を脱いで気配を殺し、黒装束の気配に気を配りつつ目を走らせた。
すると、月明かりの下、白壁の隙間の窪みに小さくかがんでいる人影を見つけた。
卍丸だった。
(あの野郎あんなところで隠れてるつもりかよ。
危ねえ、俺が先に見つけたから良いようなものの丸見えじゃねえか。)
ほっと一息ついて卍丸に駆け寄る。しかし、驚いたことに卍丸はこちらを見なかった。
いぶかしんだカブキは腕を伸ばした。
すると、そこで卍丸はやっとカブキに気が付いたらしい。
だが、腕を掴まれているにも関わらず、卍丸にはそれがカブキとは判らないようだった。
(お、おい。)
卍丸は必死で腕を振り解こうともがく。剣を抜こうとしたので慌てて声を掛けた。
「おいっ!卍丸。俺だ!俺!カブキでぇ!」
すると、卍丸の体から、ほっとしたように力が抜けた。
「カブキ……さん、なんで、ここに……?」
目を丸くして声の方に顔を向ける。だがしかしその目はカブキを見てはいなかった。
ここに来てカブキも事態が飲み込めてきた。卍丸が逃げた理由も。
「卍丸、手前……夜目が効かねぇのかよ!」
「…………」
暗くなると、全く物が見えなくなる、と卍丸は言った。
日が落ちてからが拙いらしい。足元もおぼつかなくなるので、剣を振るのなどもっての他だ。
「だから、あなたには申し訳ないけど逃げさせてもらいました。
上手くいけば人数を散らして、そのまま店まで走り切れるかと思ったんだけど……
俺、今は助太刀できないよ。だからカブキさん、早く行ってください。
こんなところに二人いたら目立っちまう。俺一人ならどうにか切り抜けられるから」
カブキは黙って卍丸の話を聞いた後、今日何度目かの悪態をついた。
(畜生……!)
この餓鬼ふざけやがって、自分が鳥目と判ってて、夕刻助太刀に来やがったのかよ。
しかもこの期に及んで俺に逃げろと言ってやがる。手前の世話は手前で見るだと。
「……ふざけんなよ、卍丸」
『こっちか!』『声がしたぞ、こっちに来い』
追っ手の声が聞こえた。カブキはそのまま卍丸を担いで走り出した。
「う、わあぁ!」
「うるせえ!ちっと黙ってろ!」
カブキは暴れる卍丸を肩に担いだまま、身を潜められる場所を探して走った。
あそこだ、途中であった稲荷。社の中なら隠れていられる。
そして目的地にはすぐに着いた。
(お稲荷さんよ、ちっとばかり場所を借りるぜ。この場を乗り切れたら幾らでも奉納してやらあ。)
カブキはそのまま狭い社に入り込む。
「カブキ、何処に……」
「黙ってろ!」
小声で制し、後ろから卍丸の口を掌で押さえた。と、同時に境内に人の気配がした。
『こちらの方で物音がしたぞ』『本当か?』『あたり一帯を探すんだ』
卍丸の口を押さえる掌に自然と力が入る。背中から抱きかかえるようにして息を殺した。卍丸の体も硬く緊張している。
何かを探すような音が続く。いつこちらに向かってくるか。カブキは剣の柄を握り締めた。
足音はばらばらと通り過ぎ、やがて小さくなっていく。やり過ごしたのか。
しかし油断は出来ない。自分達が見つからなければいつ戻ってくるか。
それでも足音が聞こえなくなった時には、やはりカブキはほっとため息を吐いた。
そこで初めて自分が後ろから卍丸を抱きしめていたのに気がついた。
そして自分が抑えている顎の細さや唇の柔らかさ、抱えた腰の華奢な事に酷く狼狽した。
流石に口元を押さえる手は放した。卍丸は一言も発さなかった。
さて、この後放した腕をどうするか。
カブキはしばし途方に暮れた。
カブキが耳元でほっと息をつく。自分を押さえる腕から力が抜ける。
差し当たって危機はまぬかれたらしい。卍丸も同じく力を抜いた。
と、そこで卍丸もやはり、自分が後ろからカブキに抱きしめられている事に気が付いた。
どうしよう……こんな体勢になったの初めてだ。
自分の背中にカブキの広い胸が当たる。回された腕は自分でも意外なほどに―――――心地よかった。
思えば卍丸はいつも誰かを守る側だった。
幼い頃から母を守り、近江に来てからは絹を守り、そして於荷屋にあっては自分の身を自分で守ってきた。
こんな風に誰かに庇護されるように包み込まれるのは初めてだった。
背中の熱が心強い。
口を押さえていた腕が解かれた。放される、と少し心細く思ったが、腕はそのまま肩に回された。
卍丸は、本当に意外なほど安堵した。
カブキは目の見えない俺を安心させるために抱えていてくれている、と判った。
暗闇の中、この命を狙われている状況の中で一人放っておかれたら不安で堪らないだろう。
背中のカブキの熱が、卍丸を安心させ、落ち着かせてくれている。
さっきまで一人で壁の隙間に縮こまって震えていた(ああそうだ、確かに俺は震えていた)のが嘘のようだ。
でもどうしよう。
この完全な闇の中、感じられるのはカブキの胸と腕だけだ。視覚がない分触れている部分が余計に熱い。
締め切った小屋の中、濃密な空気がやけに、とろりとまとわり付いて来る。
カブキからはかいだ事の無い、良い香の匂いが立ち込めている。
こうしてると落ち着くのに、放して欲しくないのに、落ち着かない気持ちになっていく。
本当に、俺、どうしちまったんだろう。
卍丸を後ろから抱きながら、カブキは自分でもよく判らない熱を感じていた。
俺はそんなに節操なしかよ、と自嘲めいた気持ちになったが熱は引かない。
女なら、それこそ数知れないほど抱いてきた。しかし卍丸の躯は、そのどれとも違っている。
細いのに、しっかりとした抱き心地で、腕にすぽりと収まった。
どうしたもんかと迷った腕は、しかしそのまま肩に回して引き寄せた。
卍丸は暴れるかと思いきや、おとなしくされるがままになっている。
追っ手から逃れた安堵で抜けた腕の力が、今度は別の理由で強くなる。
すると、卍丸がカブキの胸に頭を乗せ、くたりと体重をカブキに預けてきた。
やべえ、
と思った。
何かが自分の中で焼ききれそうだ。
「……卍丸……」
返事は無い。
「……卍丸……?」
……と、胸の中から規則正しい呼吸音が聞こえてきた。
すぅ。すぅ。
「……寝ちまったのかよ。」
っつたくコイツは、肝が太ぇんだか、餓鬼なんだか。
ため息をつきながらカブキは実際の所ほっとしていた。
あのままの状態でいたら、俺はコイツに何をしでかしたかわかんねぇ。
目を閉じている卍丸はまだあどけなく見えて、その様子がカブキの胸を衝いた。
あらためて卍丸の顔をしげしげと眺める。
月明かりの中に浮かんだ頬は滑らかだ。少し開いた唇から白い歯がこぼれている。
仰向いた喉がやけに艶かしかったが、カブキはわざと見ないふりをした。
卍丸はすっかり寝入ってしまったので、床にでも転がしておけば良かったが
カブキは卍丸を放す気にはなれず、抱きしめる腕に力を込めた。
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目の裏が赤い。ああ、朝日が当たってる。
やっと光が戻ってきた。長い夜が終わる。
いつも目覚める奉公人部屋とは勝手が違う、とぼんやりした頭で卍丸は覚醒した。
そして、夕べの一幕を思い出し、ぎょっ、っとなって身を起こした。
「うわ、あ、あ!カブキ……さん!」
「よぉ、起きたか、卍丸」
卍丸は未だカブキの腕の中にいた。カブキの蒼い目が微笑しながらこちらを眺めている。
(俺、俺、あのまま妙に落ち着いちまって……よりによって眠っちまってたのか……!)
見えないときは落ち着けたカブキの腕の中が、朝日の中では猛烈に恥ずかしい。
半ばもがくようにしてその戒めから逃れる。
「あの、あの、……迷惑掛けて……」
「卍丸」
耳まで赤くした卍丸がカブキに顔を向ける。
「昨日はお前のお陰で命拾いしたぜ。礼を言う。ありがとよ」
意外なほど真面目な顔をしてカブキが頭を下げた。
驚いた卍丸の顔から赤味が消えた。
きちんと居住まいを正し、卍丸が礼を返した。
「そんなこと、ありません。俺が勝手に助太刀して、俺が勝手にしくじったまでです。
こちらこそ助けてくれてありがとうごさいます。」
カブキはその様子を見ると、
「くっくっ、しかし鳥目の文鳥丸とはな。お前、夜遊びは程ほどにして、暗くなったらさっさとネンネするこったぜ」
とさも可笑しそうに笑った。
「……卍丸です!」
と、又顔を赤くした卍丸が食って掛かる。
「くっくっ。判ったよ。お前、早く戻んないとやばいんじゃネェのか?於荷屋さんがよ」
あっ。と卍丸が息を呑む。不測の事とは言え、一晩店を空けてしまった。
「もうこっちは大丈夫だからよ、お前、早く戻れ」
カブキに促され、卍丸は稲荷から外に出た。辺りにはまだ朝靄がかかっている。
ぶるり、と肩を震わせる卍丸の背にもう一度カブキが
「世話になったな」
と声を掛けた。
その蒼い目を覗き込んだ卍丸は
まるで空のようだ、と思った。