文鳥  

3.「助太刀」

いつものように卍丸が後ろに控えていると言うのに、絹はどこか落ち着かなかった。

今日の稽古は茶の湯である。

何度となく通ったなじみの道。道中に変わったものは何も無い。

では落ち着かない原因は道ではなく自分なのであろう。絹にはその理由は分かっていた。

 

先日、自分を守るために見せた卍丸の剣技。

いつも穏やかに笑う卍丸のあんな姿を見るのは初めてだった。

自分は両親とともに不在だったので、使用人たちの噂で後から聞いたに過ぎないが

その後、あのカブキ団十郎が店まで押しかけて来たという。

それを諌めたのも、……卍丸。

絹が6歳の頃から見つめ続け、そして何時の頃からか恋心を抱くようになった卍丸の姿なのに

それは絹が知っている、いや、知っていたと思っていたものとは異なっていた。

いいえ、違う。と、絹は思う。

卍丸はいつも自分に優しく、時には命がけで守ってくれた。

絹は卍丸を兄とも慕っていたが、しかし思えば卍丸は決して使用人と主人の娘の垣根を越えることは無かった。

卍丸に更に惹かれるのを自覚しつつも、卍丸が自分を置いてどこか遠くへ行ってしまう様な焦りを絹は感じていた。

 

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絹を無事に茶の湯の師匠に送り届けて、卍丸は安堵でため息をついた。

卍丸はあれ以来、更に神経を尖らせて絹の道中を見守っている。

自分だけなら良い。しかし万が一絹お嬢様に何かあったら、於荷屋に対し申し訳が立たない。

それこそ命がけで絹を守る覚悟であった。

だが師匠の家ならば安心して絹を預けていられる。

絹が稽古事をしている間、卍丸は師匠の門の前で稽古が終わるのを待つ事になっている。

その一時だけが、普段奉公人として忙しく働いている卍丸にとってのわずかな休息時間でもあり

その辺りは主人も心得て絹に卍丸をつかせているのであった。

 

店にカブキ団十郎が殴りこみに来てから数日が経っていた。

卍丸は忙しさに紛れ、もうその出来事を忘れつつあったが、町に出ると確かにカブキの名前は良く人々の口に登っていた。

カブキの噂はなるほどと思わせるような武勇伝から、まさかと笑うような物まで様々だった。

意外な事に徒党を組んでいるのはむしろカブキの舎弟達の方で、カブキ自身は群れるのを嫌い何時も一人で動いているらしい。

女達が熱っぽくその名前を呼んでいるのも聞いたことがあるので、女にももてるのだろう。

(役者みたいなナリだったもんなあ)

卍丸はクスリと笑って、カブキの自分を射抜くような目を思い出していた。

だがしかし、今後カブキ団十郎に係る事は無いだろう。

何より自分とは生きる世界も何もかもが違う。

そんな風に何とはなしに考えていた時、立っていた飯屋の窓から聞き覚えのある声が卍丸の耳に届いてきた。

 

「だから俺はアイツの事が前から気に喰わなかっんだよ!」

激してつい荒げてしまった声を、今度は押し殺して話を続けているのはあの菊五郎だった。

「カブキの野郎、あの卍丸って餓鬼に飲まれて尻尾巻いて帰ってきたのよ。

口ほどにもねえ奴だぜ。大体アイツと最近手合わせした奴いるのかよ。

あんな餓鬼一人に尻尾を巻く野郎だ。一人歩きした噂に目くらましを喰らっちまっただけで

実際のカブキはさほどの手練でも無かったってことよ。」

勢いよく酒をあおってから、顔を見合わせる仲間に向かって菊五郎は言葉を続ける。

「親分親分て呼んでやがるけどよ、確かに俺は前の親分の所にいた時あいつにやられたぜ。

前の親分もアイツにやられて引退しちまって、寄せる身も無くなっちまったからアイツの傘下に入ったまでよ。

今更あんな餓鬼一匹に手も出せないような野郎を俺は親分とは認めねえよ!」

 

菊五郎の言葉をきいている男達は5、6人と言った所か。

ざっと顔を見てみると、先日卍丸が倒した顔もあれば知らない顔もあった。

話を聞いているうちに、男達の顔つきがみるみる険しくなっていく。

菊五郎は更に続ける。

「お前ェ達もこのままアイツの舎弟でいいのかよ?アイツと来たらフラフラ女と遊んでばかりで、

盗みもしネェ、殺しもしネェ。そんなナマクラ親分でお前ェ達も腐っちまうんじゃねぇのかよ。

前の親分の時みてぇに派手にやりたくねぇのかよ!」

男達の目が暗く光ってきた。

菊五郎は残っていた酒を一気に流し込んだ。

「……殺るしかネェよな」

低く呟いて仲間を睨め回す。男達も反論することなく菊五郎の言葉を待っている。

「お前達今からアイツをやるのに同意しそうな奴に声を掛けて来い。

人数が集まったらさっさと殺っちまう方がいい。時刻は明日の夕刻、場所は三年橋の袂だ。

アイツは何時も女の所から帰るとき三年橋を通るからな。

橋を渡りきった所で殺っちまって、その後仏は川にでも流しとけ」

そこまで聞いたところで、卍丸はそっと窓の外から離れた。

 

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……つまんねぇな

いつものようになじみの女の所から帰る途中、カブキ団十郎は誰に聞かせるとも無く呟いた。

全くつまんねぇ。どんなに暴れても、どんなに遊んでも、どこか自分の中に満たされない部分があってそれがどうにも説明できない。

カブキは全く自由な男だった。縛られるのを何よりも嫌った。

(その俺様が、柄でもねぇのに親分なんてやってやがる。)

元々派手に跳ね回るのが好きなカブキが、色々と目を付けられる事は多かった。

自分は降りかかる火の粉を払っただけだ(イヤ、それは過剰に払い落とした部分は否定できないが)。

何組もの一家を一人で潰した。路頭に迷った手下達が慕ってくるのも、めんどくせぇと全部引き受けた。

気が付いたら自分がこの界隈一の親分になっていた。

だがしかし、自分は群れるのが嫌いだった。

手下からも、女からも、その他の様々な事に囚われたくはなかった。

(舎弟のあだ討ちなんて益々柄じゃねえのによ。)

今度に限ってその柄にも無いあだ討ちに乗り気になったのは、ただひとえに卍丸という相手に興味があったからだ。

最近骨のある奴ぁいねえ。久々に大暴れしてみるか、と我ながら興奮に躯の震えを抑えられなかった。

(そいつが、あんな餓鬼だったとはな)

卍丸の怯むことなく自分を見つめてきた紅い目を思い出し、カブキ団十郎の口元は知らず緩んでいた。

夕刻。

西の空は燃えるように紅い。

白い月が透けるように光っていた。

三年橋の中途まで渡りかけ、橋の袂に人影を認めた時、

カブキの口元が引き締まった。

 

「何だァ?手前ェらは?」

油断無く相手を睨みながらも、カブキの口調はあくまでも軽い。

…5、6、7、…12人…か。コイツはちと、拙いかな。

ざっと人数を勘定する。人影は揃いの黒装束を付け、頭に共布の頭巾をかぶっている。

夕暮れ時の三年橋。橋の袂には柳の木が立つだけだ。辺りに他に人影はない。

(待ち伏せされたか。)

心当たりは……多すぎて解らない。

「手前ェ等みてぇなむさ苦しい奴には用はネェんだけどよ。どうせ待ち伏せされるなら、妙齢の美女とお願いしてぇぜ。」

挑発するようなカブキの軽口にも、黒装束は黙って刀を抜いた。真剣でやるらしい。

カブキも肩に担いだ長剣を下ろす。

この人数でやりあうなら、当然自分も無傷では済まないだろう。

相手の半分くらいはまあいけるかもしれないが、腕の一本でも持っていかれるか。

かたわものの親分じゃ、こりゃあ俺様も廃業か。

そう思いながらも目は相手を射抜く様に見つめている。

片方だけ上げた口の端もそのままだ。

下ろした長剣をゆっくりと引き抜き……構えた。

その時

 

「ぐうっ!」

鈍い音とともに黒装束の一人が倒れた。

皆がいっせいにそちらを振り向く。

 

「テメェ……卍丸!?」

そこには柄で黒装束を打ち倒し、衿を掴んで立っている卍丸がいた。

卍丸は無言で黒装束を放り出すと、小走りでカブキの横について抜刀した。

「カブキ……さん。ずいぶん探したんだけど、居場所が分からなくて知らせられなかった。

仕方が無いから俺も橋で待つ事にしたんだ。間に合って良かった。」

卍丸は小声でカブキに話しかける。

「卍丸!何でお前がここにいるんだよ。お前にゃ関係ねえ事じゃねえか!」

驚きを隠せないカブキに向かって、横顔で卍丸は答えた。

「それがそうでもありません。カブキさん、この一件はあなたの所の金髪髷の人が絡んでますよ。」

チッ!カブキは忌々しそうに舌打ちをうった。

菊五郎の奴か。あの野郎ならやりかねねぇ。

アイツは俺の縄張(しま)を欲しがってた。さしずめ目の上の瘤である俺を殺して

次の頭目に収まろうって腹だろう。

 

「あなたが俺を見逃してくれたのが気に入らないらしい。元々は俺がアイツ等をやったのがキッカケだ。だから、助太刀します。」

言うなり卍丸は声を張り上げてカブキに問うた。

「カブキさん!で、コイツ等は、斬って良いの?」

卍丸の腕を目の当たりにしている黒装束達はその言葉に怯む。

カブキは卍丸に大声で答えた。

「おおよ!殺しちまっても構わネェが後がちとめんどくせぇな。

どこのどいつが俺様の命を狙ってるのかも知りテェしよ」

とここで一旦言葉を切った後、今まで笑っていた目をすうっと細くして

 

「命は取らないまでもよ、腕の1本や2本は覚悟してもらおうか」

と、ゾッとするような低い声で続けた。

 

 

文鳥4「遁走」へ続く。