文鳥  

19.「空」

 

「……」

卍丸は余りの事に声を失っていた。

これは何度も見た夢の続きなのか、それともいよいよ自分はおかしくなってしまったのか。

「よお、どうしたんだよ。見忘れちまったのか。俺だよ、俺。カブキ団十郎でぇ!」

カブキの声は変らずに明るく、自分を見る瞳に翳りはない。

「…カブキ…」

「おう。やっと喋りやがったな卍丸。随分遅くなっちまったが帰ってきたぜ。いや、逆だな。京まで迎えに来てやったぜ!」

「……」

「ほら、ぐずぐずすんな。こっちだ卍丸。さっさとこんな所おさらばするぜ」

窓の外からカブキが卍丸に向かって手を差し伸べた。

青空を背に笑うカブキは、屈託なく明るい。卍丸は眩しそうに目を細めた。

だがしかし、いつまで経っても卍丸はカブキの手を取ろうとしない。

いぶかしんだカブキは、少し焦れた様子で窓の外から部屋に滑り込んだ。

「どうしたんでェ。卍丸。今、外に目くらましをかけてるがよ、そんなに長く持ちゃァしねえ。さあ、抱えてやるからこっちに来いよ」

カブキは卍丸に向かって手を伸ばす。すると卍丸は今度ははっきりと首を横に振った。

「卍丸?」

「カブキ…ありがとう。嬉しいよ、凄く。でも、俺はカブキと一緒に行けないよ」

「卍丸!?」

ここまで来て。カブキは卍丸の返答に絶句した。

「一体どうしやがったってんだ!話は後だ、とりあえず此処から出るぞ」

カブキは有無を言わさず卍丸の腕を掴んだ。

寝巻きの上から掴んだ腕の感触は思いがけず細く、はっ、とカブキは卍丸の顔を凝視した。

すると、間近で見た卍丸は、別れてからそう幾日も経っていないのに面代わりする程青白くやつれていた。

「……っ!」

痛々しくて息が詰まる。掴んだ腕を引いて窓の方へ向かおうとした。

だがしかし、卍丸は頑として動こうとしない。

「卍丸!」

「駄目だよ。カブキ。俺は行けない。……だって」

卍丸は苦痛に顔を歪ませるように

「俺がしたことや、俺がされた事をカブキが知ったら……きっとカブキは俺の事、嫌いになるよ」

と言った。

カブキは卍丸の言葉に、卍丸の襟元に視線を落とした。

すると、白い布が肩の辺りに巻いてあり

その横の胸元に生々しい赤い跡がいくつも付けられているのが見て取れた。

それは青白く透き通った卍丸の肌に、やけに艶かしく残っている。

カブキはそれをざっと見ると、何事もなかったように

「そうかよ。」

と言って、尚も卍丸の腕を引いて歩き出した。

「カブキ!」

卍丸はカブキの腕に抗いながら言った。

「俺は行けない!もうカブキと一緒にいられない!俺は汚れたんだ!」

「……」

「俺は見境なく沢山の人を殺した!カブキの仲間かも知れないのを承知の上で!

その上カブキの屋敷まで焼き払ったんだ!」

「……」

「自分のした事は判ってる!俺のことはもう放ってお…」

言葉が終わらないうちに、カブキは踵を返して卍丸を抱き寄せ、まるで噛み付くかのように口付けた。

驚きの余り目を丸くする卍丸に、殆んど叫ぶようにカブキは言った。

「うるせえな!仕方ねえだろう!惚れちまったんだからよ!!」

言うなりカブキは卍丸をきつく抱きしめた。

「カブキ…」

「汚れただの殺しただの、俺には関係ねえんだよ!お前が地獄に行くってんなら俺も一緒に付き合ってやらア!」

「…………!」

吐く息が震え、喉の奥が熱くなった。もう、限界だった。

「…カブキ…!」

言いながら涙が溢れた。

動く左手で、卍丸はカブキの背中をぎゅっと握り締めた。

俺はもう、泣いてもいいんだよな?

俺はずっと、こんな風に泣きたかったんだ。

カブキの腕に力がこもる。

「行くぜ、卍丸。」

卍丸はこくりと頷いた。

「よし。しっかり抱えてやるから心配すんな」

「待って」

言うと卍丸は枕元の陣羽織に手を伸ばした。

カブキはそれに気が付くと、衣紋掛けからさっと外してそれで卍丸を包んでやった。

「似合うじゃねェか」

恥ずかしそうに卍丸が笑う。カブキは卍丸を抱いたまま、窓の桟に足を掛けた。すると

「残念だったな」

という冷たい声と共に、ぱん!という乾いた音が響いた。

「!!」

カブキが足を掛けている窓枠に、煙がたった小さな孔が開いている。

振り返ると襖が開け放たれ、短筒を構えた黄泉を中央に、根の子分たちが刀を構えて並んでいた。

「……!」

「私の屋敷で花火とは…全く、何処までも派手な男だな。カブキ団十郎」

カブキは変らぬ飄々とした調子で、黄泉に向かって答える。

「おうよ。近江では、俺の子分が随分世話になったみてエだな」

「何。こちらも思いがけない歓待を受けてな…そこのガキに」

カブキの胸元を掴む卍丸の手に、思わず力が入った。

「その様だな。じゃあ、早速だがコイツは頂いていくぜ。あばよ」

言うがカブキは窓の外に向かって身を乗り出した。

すると、再び黄泉の短筒が鳴って、今度はカブキの頬を弾が掠めた。

「ちっ。外したか。」

黄泉はそのまま銃口を突きつけながら続けた。

「…まあ、そう慌てるな。まずはその小僧をこちらに引き渡してもらおうか」

カブキの腕に力が篭る。

「断る」

「ふん。ならば次はお前の額を狙う。だが短筒というのはこの通り手元が狂いやすくてな。

大人しく小僧を放さなければ、小僧に弾が当たるかもしれんぞ」

黄泉はぴたりとカブキの眉間に銃口を向けた。

しかし、カブキは低い声でくくくと笑い、言い放った。

「そんなに卍丸が欲しいのかよ」

黄泉は一瞬、忌々しそうに眉を寄せたが、すぐにふん、と嘲る様に

「そんなガキ、でくの坊で抱いても少しも楽しくなどないぞ」

と、唇を歪めて言った。

カッと頭に血を昇らせた卍丸が、カブキの腕の中で黄泉に飛び掛ろうと身をよじらせた。

それを押し留めるようにカブキは腕に力を入れ、尚も卍丸を強く抱きしめる。

「そんな事を言うお前の方が、よっぽどコイツに執心のように見えるぜ」

「…くだらん事を」

「くだらねェか?手前が一番良く承知してんだろ。

コイツを火事場の中から助け出して、わざわざ京くんだりまでまで連れ帰っだけじゃなく

大将の私室に寝かせておくたァ随分入れ込んでるみてェだがな」

「………」

「だがな、手前がどれだけコイツを欲しがっても、無理矢理側に置こうとしても

卍丸は絶ッテェ、手前のモンになんぞなるもんか!

コイツは俺のモンなんだよ!」

黄泉の眉間が一層険しく寄せられる。

カブキは続けて言い放ち、最後にあざ笑うように付足した。

「ざまァみろ!」

カブキの言葉が終わるや否や、黄泉は黙って引き金を引いた。

ぱん!という何度目かの音が響いたと同時に、カブキは卍丸を抱えたまま窓の外に身を躍らせた。

と、堰を切ったように黄泉の部屋に一同がなだれ込んだ。

黄泉は窓際に駆け寄り、外を覗き込む。すると

ごっ!!

と言う音と共に、大きな影が目の前を過ぎり、黄泉は思わず後ろに煽られた。

影はそのままぐんぐんと上昇し、雲ひとつない空に上がっていく。

「凧だと?!」

何畳分もあろうかと言う凧が、黄泉の城を見下ろすように悠々と泳いでいた。

「馬鹿が。短筒だけが飛び道具だけと侮ったか!大筒を持て!あの凧を狙って打ち落とせ!!」

黄泉の言葉に幾人もの兵がばらばらと階下に下り、大筒のある砲台から凧を狙い打った。

だがしかし、凧は巧みに大筒を避け、どんどんと小さくなっていく。

このまま凧は根の城の射程範囲から無事に逃げ切るかの様だった。

「退け!」

中々命中しない砲弾を見ていて業を煮やしたのだろう。

黄泉が天守閣から降りて来て砲手から大筒を奪った。

どん!

低い音と共に筒の先がから火花が散った。

そして。

黄泉の放ったこの一発が凧の左下に命中し、大穴を開けた。

青空を、凧はきりきりと旋回しながら落ちて行く。墜落する前に火が上がったのが見えた。

砲台から、低い歓声が上がった。

だが屋敷の中からはひっきりなしに爆音が聞こえ、もはや蜂の巣をつついたような騒ぎである。

飛び道具を使う根の屋敷には、その為の火薬庫がいくつか設えてあった。

天守閣への道を辿りながら、カブキはその一つ一つに火を放って回ったのだ。

『おのれ……もはや火が回る前に、屋敷を離れればならん。

残りの火薬庫が爆発するのも時間の問題だ。だが、その前に』

黄泉は興奮を露にしている手下達に鋭く命令した。

「相手はカブキ団十郎だ。凧を調べて亡骸を確認するまで油断するな!

誰ぞあの凧が落ちた処まで急ぎ、二人の亡骸を引っ立てよ!」

その時、黄泉は、しゅうう、と言う微かな音を捉え、反射的にそちらへ首を向けた。

すると小さな火花がまるで生き物のように床を走っていくのが見えた。

よく見れば火花が走っているように見えたのは、床に道を描くように細く火薬が引いてあるからである。

大筒を撃つと、火花がその火薬に引火するように仕掛けてあったのか。

『仕掛け?!』

黄泉はすばやく頭を巡らせた。この火花の行き着く先は……

砲台の横にある、この屋敷の大半の火薬を収めた火薬庫!

「たばかったな……カブキ団十郎ォ!!」

どおん!!

京の外れまで聞こえる大音響で、今までで一番大きな爆発が、天守閣まで吹き飛ばす勢いで起こった。

 

「よし。やっと出口だ。……上手い具合に追手も来ねェみてえだな」

「……それにしてもこんな長い抜け道、良く知ってたね。カブキ」

カブキは卍丸を抱いたまま天守閣から続く抜け道を通り、遠く離れた出口から屋敷を振り返った。

「まあ、前にあの屋敷に行った時、ちょっとな」

カブキは窓から身を躍らせた後、凧に注意を引き付けて己は階下に身を潜ませた。

そして黄泉が砲台に移ったのを見計らってから天守閣に戻ると、以前使った抜け道を使ってここまで逃れたのだ。

話す二人の目の前で、大きな凧が打ち落とされた。

「馬ー鹿。幾ら俺が派手好みだからって、あんな目立つモン使って逃げる訳ネェだろ。

おっ。仕掛け通りデケエのが上がったな」

低い地響きを立てて、根の城の天守閣が爆発した。

屋敷全体が大きく炎に包まれている。燃え尽きるのも時間の問題であろう。

「菊五郎の野郎、大筒と火薬庫の話は嘘じゃなかったな。最後の最後で役に立ちやがったぜ」

卍丸は半ばあきれたように

「…俺なんか比べ物にならない位、派手だよね…」

と、カブキに抱えられたまま呟き、何かを思い出したように、くくく…と笑った。

「何だァ?」

「いや、カブキ、黄泉に『ざまあみろ』って言っただろ?

…いつの間にか俺もカブキに似てきたのかな、と思ってさ」

と言った後、じっと自分を見つめるカブキに気が付き、卍丸は急に顔を赤くした。

「ご、ゴメン、もう大丈夫だよ。降ろして」

卍丸は慌てた様にカブキの腕から降り立った。だが、カブキは取った腕を放さずに、そのまま卍丸を胸に抱きこんだ。

「カブキ…」

「すまねえな…卍丸。俺はお前から大事なモン全部、奪っちまった」

「……」

「だがよ、俺はこんなになっても、なんもかも無くしても…どうしてもお前のことを放せそうにネェ」

背中に回された腕は微かに震えている。

しばしの沈黙の後、卍丸はカブキの腕の中から静かに言った。

「……なんで、そんな事言うの?」

カブキは息を呑み、思わず卍丸を抱いた腕を緩めた。

「カブキ、カブキは何もかも無くしちまったの?」

言うと卍丸はカブキの胸から顔を見上げ

「俺は…全てを手に入れたってのに」

と、今まで見たことのない晴れやかな顔で笑った。

「卍丸…」

…こいつ、こんな顔をする奴だったのか…

そうだ。思えば俺は卍丸が泣いた顔も、心から笑った顔すら見たことがなかったじゃねえか。

今、自分が卍丸にこの笑顔をさせたのだ、という充足感が胸に広がる。

『…これからか…そうだな…これからだ。』

卍丸のこの顔を、見たことの無い表情全てを、もっと見たいとカブキは切に思った。

 

「よし!そうとなりゃ、行くぞ!」

「え?ど、何処に?」

唐突に声を上げるカブキに、卍丸は目を丸くしながら問いた。

「決まってんじゃねェか。約束してただろう。鰻喰いに行くんだよ!」

「う…うなぎ…?」

卍丸は一瞬呆気にとられた後、さも可笑しそうに笑った。

「そうだったね。じゃあ、とりあえず近江の…」

「その後お前の傷が癒えたら、まず火多にでも行ってみっか!」

「……!」

カブキが続けた言葉にに今度は息が止まる。

「その後は何処に行きたい?越前か?尾張か?お前は火多と近江しか知らねェんだろ?忙しくなるぜ!」

「カブキ…」

悲しくもないのに、涙が溢れてきて視界がゆらり、と揺れた。

慌てて顔を伏せようとした卍丸の頬に、カブキは手を添えると覗き込むように仰向かせた。

仰ぎ見たカブキの蒼い髪と瞳が、今日の青い空に良く映えている。

『こんな空、今まで見たことなかった』

恥ずかしくなって笑おうとしたが、涙が零れて上手く笑えなかった。

頬を包んでいたカブキの手に微かに力が入る。

卍丸は一寸迷って

しかしそのまま、そっと目を閉じた。

閉じた目に、もう籠は見えなかった。

 

そして

 

カブキは今度こそゆっくりと卍丸に唇を重ねた。

 

 

最終話「文鳥」へ続く。