文鳥
18.「籠」
「手前!いい加減なことを言いやがると、只じゃおかねェぞ!」
人通りのない裏路地
カブキ団十郎は、息も絶え絶えになっている菊五郎に向かって怒鳴りつけた。
足の甲には未だカブキの長剣が突き刺さったままだ。
菊五郎はいつもの威勢はどこへやら、涙を流しながら懇願するように言葉を続けた。
「う、嘘じゃぁありません。俺…あっしは、確かに見たんです。
黄泉様が…黄泉が、あの小僧、卍丸を、あの屋敷から運び出す所を」
あの時。
燃え落ちるカブキ団十郎の屋敷の中、黄泉は倒れている卍丸を足で踏みつけて
止めをささんと頭に短筒を押し付けた。
あの野郎もいよいよ終いかと、自分で手を下す事が出来ずに半ば無念の思いで見ていた菊五郎の目前で
急に黄泉は短筒を下ろすと、ぐったりとした卍丸を肩に担いだのだ。
菊五郎は狼狽した。しかし、燃えさかる炎の中で黄泉に問いただす暇などなく
生き残った黒装束達と共に屋敷から脱出する事だけで精一杯だった。
その後、黄泉ら根の一家は火事場の騒動に紛れ、訪れた時と同じように音もなく近江を後にした。
菊五郎も慌てて黒装束に合流したのだが、一行は気を失ったままの卍丸も運んで京に向かったのだ。
『こいつは一体どうした事だ。あのガキなどあのまま屋敷に捨て置いておけば勝手に死ぬものを』
ちらりと盗み見た卍丸の肩には、血止めの為の布が巻かれている。
黄泉は卍丸を生かしておくつもりなのだ。菊五郎は悟った。
どうした訳だ。自分の願いは聞き遂げられないのか。
近江での話が棚上げにされた菊五郎は、何度も黄泉への目通しを頼んだが聞き入れられなかった。
土間で軽く手下にあしらわれるのを横目に、医者と思しき男が奥へ通されるのを何度か見た。
門前払いされる自分と、奥に寝かされているらしき卍丸。
こんな事態になっても尚、自分の頭の上に卍丸がいるかと思うと、屈辱で身の内が燃え滾るようだった。
さりとて行く当てもなく、京の根の屋敷にしばらく留まったが、そこに菊五郎の居場所はなかった。
菊五郎はあくまで居候であり、根の一家の一員ではなかったのだ。
やっと対面が許された黄泉からは邪険に扱われ、結局のところ菊五郎は近江に舞い戻るしかなかった。
菊五郎は泣きながらカブキに叫んだ。
「だ、だから、卍丸は今も根の屋敷にいます!
殺すつもりなら医者なんて呼ぶはずがありやせん。卍丸は京で生きてるんですよ!」
カブキは絶句した。
コイツが言っているのは出鱈目じゃねえのか。
だがしかし。
例えそれが罠だとしても、京に乗り込んで確かめる価値はある。
カブキは黙って菊五郎の足に突き刺さった剣を引き抜いた。
「あがああああ!」
引き抜かれた傷から、新たな血が吹き出した。
菊五郎は背中を丸め蹲りながら呻いている。
「うう……ぐぐ…」
「菊五郎」
じゃり、と足を踏み出したカブキを、菊五郎は涙目で見上げた。
「その話、載ってやるぜ。
いい事を聞かせてくれた礼だ。今ここで止めを刺すのは勘弁してやらア」
菊五郎は、今度は安堵の余り体を震わせて咽び泣いた。
「だがな、菊五郎」
背中を丸める菊五郎に、カブキは言い放った。
「手前、あれだけの事をしでかして、近江でのうのうと過ごせると思ったら大間違いだぞ。
手前が近江に舞い戻ってる事なんざ、火の一家には疾うに知れてるんだよ」
「ひっ!」
そうだ。今まで火の一家は全滅したと思っていたから、安心して近江に身を寄せていたが
火の一家が生き残っていると知らされた今となっては、近江は自分にとってとてつもなく危険な場所だ。
「今までお前が無事だったのは、あいつ等を俺が留めていたためよ。勿論俺がお前に引導を渡すつもりだったからな」
カブキは長剣を一振りして鞘に収めた。それだけで菊五郎がびくり、と体を震わす。
「俺は京に向かうが、後の事はあいつ等に任せた。
あいつ等はきっと、お前を血眼になって探し出し……絶対に落とし前をつけさせるだろうぜ」
青白い菊五郎の顔から、更に血の気が引いた。
「その足で、どこまであいつ等から逃げ回れるか試してみろ。せいぜい残り少ない命を大事にするこった」
菊五郎は絶望的な宣告に、目の前が真っ暗になるのを感じた。
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鎧戸を開けた窓から朝日が射していた。
青空の中を、のんびり鳶が旋回している。
…あいつの方が…自由だな…
卍丸は未だ朦朧とした頭でそれを眺めていた。
又生き延びたが、相変わらず自分は籠の中だ。
黄泉に無理矢理体を開かされ、卍丸は再び発熱し意識を失っていた。
背中の傷からも再度出血し、医者が診察に来たらしい。
やっとの事で意識を取り戻したが、じくじくとした熱は変らず内に篭ったままだ。
『余り無理をさせませんように』
『死んだらそれまでの事だ』
と、いったような医者と黄泉のやり取りも、夢うつつに聞いた気がする。
重い腕を弱々しく上げて、一回り細くなった手首を見る。
そこには未だ、押さえつけられた痕が青く残っていた。
「…くっ……!」
卍丸は片手で顔を覆った。
『死んだらそれまでの事だ』
黄泉の言葉が再び脳裏によぎる。
そうだな。だが、生憎俺は生きている。
徹底的に痛めつけられても、不思議と自分から死ぬ気にはならなかった。
黄泉の下に屈辱的に組み伏せられていた時も、唇を強く噛み締めてただひたすら耐えた。
生きてさえいればどうにでもなる。
そう。死んでしまえば相手を喜ばせるだけだ。
いつか俺を殺さなかった事を後悔させてやる。
惨めでもいい。今はとにかく生き抜いて、この籠の中から絶対に逃げ延びてやるのだ。
何時程経っただろう。
騒がしい音で卍丸は目を覚ました。
いつの間にか少し眠ったらしい。日はすっかり昇りきっていた。
…気のせいか…?
眠ったお陰で熱は少し引いた様だった。
幾分軽くなった体を布団の上に起こし、耳をそばだてる。
わあわあと言う人の声が、開け放った窓の外から確かに聞こえてくる。
卍丸がこの屋敷に連れて来られてから、およそ人の気配と言うものは全く感じられなかった。
特にこの黄泉の私室には殆どと言って人の出入りがなく
黄泉自身と、後は卍丸の身の回りの世話をする数人しか見かけたことはない。
だから余計に、いつもは聞いた事のない人の騒ぎ声に卍丸は敏感に反応した。
騒ぎは収まるどころか場所を移しながら一層大きくなる。
卍丸はふらつく体を奮い立たせ、床の間に飾られた剣を掴んだ。すると次の瞬間
どん!
という大音響が聞こえ、屋敷全体がびりびりと震えたのだ。
「……!!」
間違いない。この屋敷は襲撃されている。
卍丸は壁に凭れ掛かり、左手で剣を引き抜いた。
どん!どん!どん!
と、何かを爆発させる音が何度も響き渡り、そのたびに畳が揺れる。
襖に向かってそのまま左手で刀を構え、敵に備えた。
だが、声は思いがけない所から降って来た。
「よお!卍丸!まさか天守閣にいるとはなあ!随分探したぜ」
驚いて振り返ると先程まで覗いていた窓から
カブキ団十郎が顔を出して自分を覗き込んでいた。