文鳥  

16.「闇」

 

今夜は全く気に入らない夜だ。

月明かりもねェ。全くしけてやがる。

 

「くそ!…全くどいつもこいつも馬鹿にしやがって!」

手に下げた酒瓶に直接口をつけ、喉から滴り落ちるのも構わず酒をあおる。

ふらふらと歩を進めると、誰かが肩にぶつかった。

「馬鹿野郎!どこ見てやがんでェ!」

「何だと!テメエ!俺様を誰だと思ってやがるんだ!」

威勢良く罵声を上げるが足元はいただけない。さほど強くも当たっていないのに、ふらつきながら尻餅をつく有様だ。

ぶつかった男は自分を見下ろすように立っている。連れの女がつまらなそうに男の袖を引いた。

「ちょいと、およしなさいよ。酔っ払いに関わると碌なことないよ」

そうだな、と男は女の肩を抱きながら歩き出した。その背中に更に怒鳴り散らした。

「逃げるのか!この野郎!俺様はな、根の一家、黄泉様の、近江一の舎弟、菊五郎様だ!」

菊五郎はしゃがみこんだままがなり立てた。

しかし誰一人菊五郎を気にかける者などいない。

「畜生…俺は…根の…」

菊五郎はがっくりとうなだれ、ぶつぶつと口の中で繰り返した。

しばらくそのまましゃがみ込んでいたが、やがて酒瓶を取り直すと一口あおり

「くそっ!」

と再びあてどもなくさまよい始めた。

 

一体、どこがどう間違ってこんなハメになっちまったんだ。

カブキの屋敷がすっかり焼け落ちてしまった後、根の一家は早々に京に引き返した。

むろん、こんなに大騒ぎになってしまった後では、於荷屋を足がかりに云々所の話ではない。

『で、では、この菊五郎に、近江をお任せくださるとのお話は…』

京の屋敷に戻った黄泉の元へ出向いた菊五郎はそう詰め寄った。

黄泉は涼しい顔をして、いつものように煙管をひとふかしすると、事も無げに言った。

『うむ。良いぞ。お前は近江の根の一家として存分に働いてくれ』

『で、では』

『生憎くれてやる屋敷は無くなってしまったがな。何、これからも近江で何か動きがあったら知らせてくれ。

今の所、京の兵隊を近江にやる予定はないのでな』

『よ、黄泉様…!』

『下がれ。私は忙しい。お前のしでかしてくれた後始末で忙しいのだ』

『黄泉様!!』

 

「……畜生!!」

勢い良く酒を煽る。

真っ黒な夜空が忌々しい。賑やかな街の明かりも忌々しい。何より己が忌々しい。

今頃は俺様があの屋敷の奥座敷に座って、この近江を我が手にしていただろうに

一体どうしてこんな所で酒をくらっているんだ。

これじゃあこそこそと路地裏で身を隠していたあの頃と変らねぇ。

変っているのは横に角がいねえ事だけだ。

一体どうしてだ、誰の所為だってんだ

「卍丸…」

全てはあのガキの所為だ…あのガキの所為で俺は全てを失った。

今なお、こんな事になってすらまだ俺を苦しめやがる!!

畜生…畜生……ちくしょう!!

やり切れない思いで再び酒を煽る。

さまよい歩いて、菊五郎は今まで見たことのない路地裏にたどり着いた。

相変わらず月の明かりはない。

ただでさえ暗い路地裏は、人気もなく一層暗く沈んでいる。自分も闇に吸い込まれそうだ…

いっそそうなっちまえば楽かもな、と菊五郎は唇の端をゆがめて笑った。

「随分と、景気がいいじゃネェか」

その声は路地裏の、一番深い闇の中から届いた。

聞き覚えのある声に、菊五郎の酔いは一度に醒めた。

ぎしぎしと、体中の節々を不自然に動かしながら声の方にやっと顔を向ける。

声の主は、闇に沈んでいて見えない。

恐怖のあまり目を剥きながら、精一杯の虚勢と声を張り上げた。

「誰だ!コソコソそんな所から声を掛けやがって!」

闇の中の声はくくくくっ、と忍び笑いを漏らすと

「何もこそこそなんざしてねェよ。

俺より、お前の方がゴキブリみてぇに暗がりから暗がりへ逃げてるように見えるがな」

言うと、じゃり、と音を立てて一歩前へと踏み出した。

闇の中に、その男の姿が浮かび上がる。

「て…テメエ……」

予想はしていた事であった。だが、実際目の当たりにすると自分は滑稽なほどうろたえた。

「…カブキ…団十郎…!!」

「よう。久しぶりだな。菊五郎。おっと、今や近江一の根の子分、菊五郎様、だったか?」

カブキはいつもの様に茶化した口調で話しかけてくる。

『だが………何だ?』

どうもどこかが違っている。

菊五郎はカブキの纏っている空気に、嫌なものを感じて知らず後ずさっていた。

軽い口調と同じように、顔には笑顔さえ浮かべていると言うのに、今まで見知っていたカブキと何処かしら違っているのだ。

「おいおい。幽霊でも見たような顔しやがって。この通り足もついてるぜ」

言いながら、カブキは闇の中から歩み出た。

「……な、何しに…来やがった…!」

そう喉の奥から搾り出すのが精一杯だった。

相変わらずカブキは微笑しながら、菊五郎に向かってゆっくりと歩いてくる。

「何をしにとはご挨拶だな。仮にも一時手前の親分だった人間に向かってよ」

「………」

「まっ。その点俺はお前に謝んなきゃなんねェと思ってんだがよ」

「あ…あやまる…?」

「そうよ。まさか手前が、あんなにデケエ事をしでかす奴とは思ってなかったぜ」

「…っ……」

「やってくれたな。菊五郎。おれはちと、お前を見くびっていたようだぜ」

怒鳴りつけるのではない。相変わらず笑ったままカブキは言葉を続けた。

菊五郎は逃げ出したいと震えている足を何とか踏ん張ると、カブキに向かって問いかけた。

「…テメエ……一体何処から、知ってやがる」

カブキは担いだ長剣で肩をとんとん、と叩きながら言葉を続けた。

「まあ、俺も色々嗅ぎまわってよ、大方の所は判ったぜ。お前の大立ち回りもな。

大活躍だったみたいじゃネェか。菊五郎」

「………」

 

*******************************************************************

 

ことの真相を探るためにまずカブキは、近江の裏街道へと向かった。

火の一家が壊滅した後でも、自分達のような人間は後を絶たない。

同じ様に、いや、待っていましたとばかり台頭してくる組織は必ずあるはずだ。

『そいつらにつなぎを作り、裏の情報網から事の真相を探り出してやる』

幸い、逢坂峠で会った商人達の噂どおり、カブキ団十郎は屋敷の火事で死んだものと思われており

情報を探るには一層都合が良かった。

そして首尾よく新興勢力と接触する事が出来たのだが、

驚いた事にその殆どが火の一家の生き残りの人間だったのだ。

皆、死んだと聞かされていたカブキの帰還に大いに沸きかえり

カブキも、屋敷と共に全滅したと思っていたかつての舎弟達の無事を喜んだ。

そこでカブキは、自分が発った晩に起こった、凄惨な出来事を改めて耳にする事となった。

「あっしらに油断があったのでしょうが……酷いものでした。

刃向かう者は片っ端から切り殺されて、残った者達は一つところに集められました。」

「根に寝返れば命だけは救ってやると…これからは菊五郎がお前らの頭領だと聞かされました。

冗談じゃない。あっしらは覚悟を決めました。すると黄泉はあっしらを牢に押し込めたんです」

なるほどな、菊五郎かと、いっそ腑に落ちた思いでカブキはその話を聞いた。

あの野郎、何かしでかすと思ってやがったが、まさか自分の同胞まで売り渡すとは。

「根が何か仕掛けてくると掴んでいながら、俺はお前らの為に何もしてやれなかった……すまねえ。

だからこそ、お前らがあの屋敷から逃げ延びてくれて、こんなに嬉しい事ァねえぜ。よくあの座敷牢から抜け出せたな」

「於荷屋の用心棒とか言う小僧のお陰です」

於荷屋の用心棒…カブキは思わず聞き返した。

「卍丸か?!」

「ああそう、確かそんな名前でしたよ。

たった二人かそこいらで根の一家が待ち構える屋敷に乗り込んで来て、俺達まで助けてくれたんでさ。

親分…あっしらは親分に謝らなければなんねえ」

「謝る?」

「親分の屋敷に火をかけたのはあっしらだ。あの小僧が、合図をしたら火をかけるよう指示したんで」

「何?!」

「小僧…卍丸は『このまま根を放っておくと、奴等は此処を根城に近江を思うままに荒らすだろう。

親分の屋敷をそんな事に使わせるわけには行かない』と言ってました。あっしらもそう思いました。

だからあっしらは小僧に従いました。堪忍してください。」

「……………」

「あの小僧、とうとう屋敷から出られず死んだんですってね。気の毒な事でした。

あいつがいなけりゃ、あっし達もきっと、行きがけの駄賃に皆殺されていたでしょう」

……卍丸。聞いてるか。お前は俺の仲間を、近江を守ってくれたんだな。お前はほんとに、大した奴だ。

カブキは別れ際の卍丸の顔を思い出しながら、唇を噛み締めた。

「親分……ようこそ無事にお帰りくださいました。これからもあっしらは、親分に付いていきます。

親分さえいてくれれば、火の一家はまた盛り返せます。」

カブキはその言葉に、自分を見上げる子分たちの顔を見回した。

皆、期待を込めた目で自分を見つめている。自分の言葉を待っているのだ。

だがしかし

「……皆、すまねえ。俺は、もう、お前らの親分にゃあなれねえよ」

カブキの口から出たのは、皆が待っているセリフではなかった。

ざわり、と一同がどよめく。

「お、おやぶ……」

「火の一家はこれで終いだ。俺は近江を出る」

「親分!」「近江を出て、一体どうなさるんで!」

子分たちは口々に問いかける。カブキは一同を見渡すと宣言した。

「決まってんじゃネエか。後始末だよ」

一同のざわめきが一層大きくなる。

「後の近江はお前らに任せた。新しい親分を立てて盛り上げていきな」

「親分!」「ならばあっしたちも…」

ざわめきを打ち消すようにカブキは一層声を張った

「いいか!この一件は俺の戦だ。

俺が最後まで引き受ける!お前らは一切手を引きな!

その代わり根の奴等にゃア、俺の命に代えても近江に一切手は出させねえ!」

屋敷を震わせるようなカブキの勢いに、一同は思わず身を竦ませた。

 

「根にこの戦の落とし前をつけてもらう。

……カブキ団十郎に戦を仕掛けるたァどう言う事か、しっかりと思い知らせてやらア!!」

 

*******************************************************************

 

カブキは暗い夜空を背に、淡々と話し続けた。

「お前は俺の屋敷が燃え落ちて、火の一家も全滅したと思ってやがったみたいだがな

卍丸の奴が俺の舎弟もきっちり座敷牢から逃がしてくれてたのよ」

卍丸………

卍丸、卍丸、卍丸!畜生!あのガキ、何処までも俺を苦しめやがる!

「さて、菊五郎よ」

事も無げに言うと、カブキはひょい、といった感じで長剣をすらりと鞘から抜いて

そして菊五郎の右の足の甲に思い切り突き立てた。

「………っ………ぎゃ、あ、あ、あ、あ!!!」

菊五郎は剣を引き抜こうとするが、地面に突き刺さったままびくともしない。

カブキは微笑を浮かべたまま、刀の柄を思い切り叩いた。

「があああああっ!」

刀が揺れ、血が吹き出す。

「菊五郎。手前も男ならよ、手前で始めた事の落とし前は手前でつけるんだな。

ここが年貢の納め時なんだよ」

あくまでカブキの口調は明るい。今となってはそれが一層恐ろしい。

「菊五郎。一つ選ばせてやる。俺は大体の事情は判ったがな、根の内情については

もうちっと知りてえ事もある。今此処で手前に、洗いざらい喋ってもらうぜ」

菊五郎は悟った。最初に感じたカブキの嫌な感じとはこれだったのだ。

口調はあくまでも明るく、笑顔を浮かべているものの、カブキの表情は最初から一切動いていない。

動かない表情…それはつまり無表情という事なのだ。

無表情の瞳の奥に、瞑い狂気が見て取れた。

「お……おれが…嫌だと…言ったら…」

聞いても無駄だと思いつつ、菊五郎は涙を流しながら問いかけた。

「そうさなあ」

カブキは顎を掻きながら無造作に剣を引き抜くと、同じように無造作に、今度は左足の甲へ突き立てた。

「ぎゃあああああ!ああ!」

「話したくなるまで、一寸刻みにして殺してやる!

…さっさと吐いちまった方が楽だぜ」

「待て!た、頼む、悪かった、話す、話すから助けてく…」

「生憎それは出来ねえな」

カブキは菊五郎の言葉を遮った。

「言ったはずだ。此処が年貢の納め時だと。今すぐ話すなら」

カブキはすうと目を細めて静かに言った。

「苦しまないように殺してやるよ。」

菊五郎は心底恐怖した。

この男は黄泉と同じだ。

いったんやると決めたら、容赦なく言った通りに実行するだろう。

脳裏に角太郎の姿がよぎる。

あの時の角と同じ様に、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら俺は今、命乞いをしている。

そして、あの時、命乞いをしながら角は、黄泉に…!

「頼む!何でも話す!知っていることは話す!だから…」

「だからよ、話せば楽に死なせてやるって言ってるんだ。お前に生き残る道はねえんだよ。

手前の所為で何人死んだと思ってやがる!お前は舎弟を売ったんだ!

……卍丸も……手前が殺したんだよ!!」

薄笑いを浮かべていたカブキが、卍丸の名前を呼ぶ時だけ声を震わせた。

卍丸…

菊五郎は取り乱しそうになる自分を落ち着かせて、望みの綱に必死にしがみついた。

「ま……待ってくれ!ち、違う、卍丸、卍丸は」

「違わねえ!手前のせいだ!」

「そうじゃない!あのガキは…」

 

菊五郎は必死の思いで叫んだ。

これが聞き遂げられなければ、自分の命は、今、本当にここで終わる。

願うような思いで菊五郎は告げた。

 

「死んでねえ!!卍丸は、生きてる!!

あのガキは生きてやがるんだよ!!」

 

 

文鳥17「悪夢」へ続く。