文鳥
15.「月光」
カブキがその話を聞いたのは、京と近江の境である逢坂峠の辺りだった。
一つしかない茶店に立ち寄り、それとなく行商人達の噂話に注意を払っていたら
正に自分の名前が話の端にのぼっていたのである。何事かと思わず耳を傾けた。
話しているのは近江から品を仕入れて京に向かう所だと言う若い男で
これから逆に近江を抜けて行商に行くのだという、年嵩の仲間と情報交換をしていたのだった。
「じゃあよ、カブキ団十郎の屋敷はすっかり燃えちまったのかい?」
「そうですよ。ありゃあ酷かった。柱一本残ってませんでしたよ。飛び火がなかったのが不幸中の幸いでした。」
偶然耳に挟んだ噂話の内容は、思いも寄らぬ事であった。
男を問いただしたくなるのを押さえて、カブキは尚も二人の話に耳を傾けることにした。
「じゃあ、火の一家は…」
「あれじゃあ、もう終いでしょう…ですがね…」
此処で若い男は意味有り気にぐっと声を低くして
「これはね、あっしの知り合いの岡っ引から聞いた話なんですがね…
屋敷跡から、何ですか、沢山の亡骸が見つかったそうで…」
と囁いた。
年嵩の男は眉を顰め
「そりゃあ気の毒に。皆、煙に巻かれちまったんだろうな」
「いえいえ。それがね、此処からが肝心な話なんですが…見つかった亡骸には皆、刀傷があったって話なんですよ」
刀傷?!カブキ団十郎は思わず顔を上げた。
気づかないのか行商人達は、尚も低い声で話を続けている。
「そりゃあ…ぜんたい、どういう訳なんだい?」
「ですからね、火が回った時には一家はもう皆殺しにあってたんじゃないかって…この火事も付け火だったって話ですよ」
「おお嫌だ。物騒な話だね」
「おじさんも近江に行ったら気を付けたに越した事はない。…そうだ、おじさんとこ於荷屋さん扱ってるんだろ」
「ああ。近江で於荷屋さんに寄ってから越前に抜けるつもりだよ」
「悪い事は言わねえ。今は於荷屋さんに近づかない方が身のためだよ」
「於荷屋だと?!」
今度こそカブキは勢い良く立ち上がった。ぎょっ、と男達はカブキに顔を向けた。
「な、なんだい、アンタ…」
「おい…アンタ、カブキ団十郎じゃねえのか?…って、アンタ、死んだんじゃなかったのかい?」
男はカブキの剣幕に押されながら、しどろもどろに答えた。
「俺のこたァいい!おい、於荷屋がどうしたって?!どういう事だ!」
カブキは掴みかからんばかりの勢いで男達に詰め寄った。
「何だよアンタ…アンタの一家は於荷屋とつなぎがあったんじゃないのかい?
近江じゃ皆うわさしてるよ。…於荷屋さんがアンタの屋敷の後始末を、率先してやってるって話だし」
「於荷屋が…それは一体どうした訳で…」
カブキの背筋を、じわりと嫌な予感が駆け登った。畜生。こういうカンだけは外れた試しがねえ。
「知らないよ。だから皆てんでに噂してるんだ。於荷屋はヤクザ者とつるんで商売を広げたとか
娘もヤクザに傷にされたとか…何だか火事の後、大きな葬式も出たようだし」
どういう事だ。俺がいねえ間に、近江で何がありやがった。コイツは根と関係のあることなのか。
カブキは長剣を掴むと、それこそ脱兎の如く峠を下り始めた。
残された商人達が、呆気に取られる程の勢いであった。
夜を待って、カブキはまず件の屋敷へ向かった。
明るい月明かりの中、確かに自分の屋敷は綺麗さっぱり焼け落ちていた。
燃え尽きてからもう七日もたったとの事だが、心なしかキナ臭い匂いがまだ漂っているようである。
刀傷が残るという仏は勿論残っていない。燃え尽きた柱の跡なども片付けられてある。
噂どおりなら於荷屋の手配によるものなのだろう。
誰が手向けたか野の花が添えてあった。
思えば自分がこの屋敷を後にして、わずか一月もたっていない。今夜のように、月の明るい晩であった。
あの時は根の一家の狙いが判らなかったため、動きを悟られないよう夜に近江を発ったのだが
皮肉にもまた同じように身を潜めつつ、夜に近江に舞い戻る事になったのだ。
『この一件の裏を引いてやがるのは誰だ』
カブキはギリギリと奥歯を噛み締めた。
『しかし一体於荷屋がなんだって後始末に関わってやがるんだ?』
娘が傷物になったという噂も引っかかる。
根も葉もない噂であって欲しいと願っているのが、知らず気弱になっている自分を逆に気づかせた。
『卍丸…』
近江へ向かう晩、月明かりに照らされた卍丸の顔が頭をよぎる。
…カブキ、俺たち、また、会えるんだよね?…
『…くそっ!』
根が狙っているのは自分のはずだ。卍丸は、於荷屋は一家に何の関わりもない。
だからこそ自分は、卍丸を置いて一人で京に出向いたのだ。
『…一体何がありやがった。』
卍丸に直接会って話を聞くしかない。こんな形で再会するとは夢にも思わなかったが。
胸に尚も広がる嫌な感じを無理矢理飲み込んで、カブキの足は於荷屋に向かって歩き出した。
於荷屋の門は固く閉じられていた。心なしか屋敷の中もひっそりと静まり返っているようだ。
カブキは裏木戸へ回ったが、案の定そこもきっちり鍵がかかっていた。慣れた調子で白壁を乗り越える。
見覚えのある炭小屋を抜け、奉公人部屋とおぼしき一角へ足を忍ばせた。
さて、卍丸の部屋がどこなのか、そこまでは見当がつかない。
とりあえず長い縁側をそろりと歩き出すと、ガラリ、と急に襖の一つが開き、中から棍棒が勢いよく突き出された。
「……!」
カブキは反射的に身をかわすと、縁側から庭に飛び降りた。
開け放った襖の奥から、小山のような大男が、憤怒の形相で姿を現した。
「テメエは…」
表情こそ違えども、その男には見覚えがあった。
卍丸と初めて対峙した於荷屋の店先で、最初に姿を現したもう一人の用心棒。
「…極楽…だったか?」
「貴様…何をしにこの於荷屋にノコノコ現れおった!」
極楽は声を押し殺したまま、棍棒をカブキに突きつける。
声を荒げない分、叩きつけて来る殺気には尋常ではない凄みがあった。
「待ってくれ。俺は何も於荷屋さんに仇なすつもりで押し込んだんじゃねえ…!頼む。卍丸と話がしてえ!」
「貴様…!」
極楽の顔が怒りのためか一層朱くのぼせた。ビキビキと音を立てそうな勢いで、腕の筋肉が盛り上がる。
極楽はぶうんと重い音を立てて棍棒を振り回した。カブキは上体を逸らし、再びひらりと身をかわした。
「違う!待ってくれ!頼む!卍丸と…!」
「うぬうっ!!」
極楽は物も言わず裸足で庭に下りて来ると、棍棒を振り回しながらカブキを庭の隅まで追い詰める。
カブキは器用に身を翻すが、そのたび棍棒は低い唸りを立てて耳の横を通り過ぎた。風圧で髪の毛がびりびりと揺れた。
冗談じゃねえ。あんなモンにまともに喰らったら一発だ。
極楽は尚もカブキに向かって棍棒を振り回した。カブキは際どいところでそれをかわし続けたが
かつん、と言う音に足元を見ると、後ろは池になっていて、高下駄が池の縁石にぶつかっていた。後ろに逃げ場はない。
慌てて極楽に視線を戻すと、正に自分に棍棒を振り下ろしてくる所だった。
ゴッ!
鈍い音を立てて極楽の棍棒が振り下ろされた。
が、下ろされた棍棒はびくとも動かない。
あろう事かカブキは、棍棒の上に飛び乗って足で踏みつけたのだ。
「…くっ!」
極楽は棍棒を引き上げようとするが、カブキはそのまま棍棒を足で地面に押さえたまま極楽に小声で叫んだ。
「頼む!聞いてくれ!俺は今日まで近江を空けていたんだ。
どうも、その間にあんた達に迷惑をかけたようだが事情がサッパリ分かんねェ。
信じてくれねえかも知れネェが、卍丸に聞いてくれりゃあ分かる。卍丸に会わせてくれ!」
それを聞くと極楽の憤怒の形相が不自然に、ぐしゃり、と歪んだ。
「…知っておる…」
「エ?」
呻くように吐き出した思いがけない極楽の言葉を、思わずカブキは聞き返した。
「おぬしが、近江を離れておったことは…卍丸から聞いて…知っておる…」
「卍丸から?」
極楽の腕から力が抜けた。カブキは棍棒から足をどかすと言葉を続けた。
「ありがてェ。じゃあ話が早い。卍丸を…」
「卍丸は…おらん。」
「エ?」
再び吹き出した嫌な予感。胸が早鐘のように打っている。
…カブキ…俺たち又…
「卍丸は」
極楽はゆっくりとこちらに顔を向けた。大男にふさわしくない、殆ど泣きそうな顔で。
…会えるんだよね?…
「死んだ」
ぐらり。と足元が揺れた。
極楽の言葉が耳に入っても、最初は言葉の意味を理解する事を体が拒んだ。
やがてその意味が体に染み渡っても、今度は事実を受け入れる事を頭が拒んだ。
「…て、テメエ…悪い冗談を…」
「ワシが冗談を言っているように見えるか?」
苦しそうに顔を歪ませながら告げる極楽に、カブキの背中が冷えた。
「冗談だと思うなら、明日の朝、比叡山の墓地へ行ってみるがいい。於荷屋の菩提寺だ。
戒名は…大霊院卍丸…」
「………!」
「旦那様のご厚情で、奉公人ながら菩提寺に墓を立てて弔ってくださったのだ。
今日は初七日も済んだ所よ」
「…………」
聞きたくねェ。
極楽を殴り飛ばしてこの場を立ち去りたかった。情けないほど喉がカラカラに渇いている。
だがしかし、カブキは崩れそうになる自分を奮い立たせて何とか問いかけた。
「……一体…どうして…」
極楽は言葉をさがしつつ語り始めた。
「お主が近江を発ったと言うその数日後、於荷屋のお嬢様…絹様がかどわかされたのだ。
しかも、卍丸が護衛についていた先でだ。
勿論、その事だけでも卍丸は随分とお叱りを受けた。だが、話はそこで終わらなかった。
カブキ団十郎、お前が身代金と引き換えに、お嬢さんを攫ったと置き文があったのだ」
「俺が…!?」
「そうだ。金の受け渡しはお前の屋敷。夕刻卍丸一人で届けに来るよう書いてあった。
更に使用人の中に、お前と卍丸がつながっていたと言い出す者まで現れ
卍丸は人攫いの片棒を担いだのではと言う疑いまでかけられたのだ」
「バカな!」
思いもよらない話が次々に語られ、驚愕と怒りでカブキは身を震わせた。
「勿論わしはそんな話など信じてはおらん。旦那様も心の底では同じだったろう。
だがの、大店を預かる身では、ヤクザ者との繋がりなど、噂だけでもご法度じゃ。
卍丸は於荷屋から暇を申し渡され、最後の奉公にお嬢さんを救出に一人で向かったのじゃ」
カブキに返す言葉は見つからない。一体、何故、こんな事になったのだ。
「わしはの、あの子が小さい時から見てきた。それこそこんなに小さい頃からな。
卍丸の事は良く知っておるつもりだ。陰日向のある奴ではない。あやつを捨て置くことはできんかった。
だからわしは、旦那様にお許しを頂き卍丸と共にお前の屋敷へと向かった。
卍丸はそれこそ命懸けでお嬢様を取り戻し、わしに託すと自ら囮となって屋敷に…残った…」
思い出すのも辛いのだろう。極楽は大きく息を振るわせた。
「後はお前も知っての通り。お前の屋敷は焼け落ちて、卍丸は帰ってこなかった。
わしらの願いも叶わずに、卍丸の亡骸も見つかった…それだけだ。
…一つ教えておいてやる。お前の屋敷にお前の子分なぞ一人も居らんかったぞ。
根の一家とやら言う黒装束の集団が、我々が押し込む前にお前の一家を根絶やしにしておったらしい。
卍丸は、お前らのくだらん確執に、巻き込まれて死んだのだ…!わしが許せんのは…そこじゃ…!」
「……」
「答えろ!何故、あやつは死なねばならなかったのだ!
あやつの身の潔白はわしが一番知っておる。後ろ暗い事など何一つしておらん!
もし…あやつが過ちをおかしたと言うなら…それはカブキ団十郎!お前と関わってしまった事だけじゃ!」
最後の言葉と同時に、極楽の大きな拳が、カブキの横面に向かって飛んできた。
今度はカブキは避けなかった。
極楽の拳をまともに受け、顎が砕けたかと思うほどの衝撃と共に、カブキの体は後ろに吹っ飛ばされた。
カブキは仰向けに倒れたまま起き上がらない。殴った極楽の方が涙を流していた。
たっぷりと一呼吸置いた後、カブキは頭を振りながら上体を起こした。そして
「…邪魔、したな」
とだけ言い置いて、飛び越えてきた壁に向かって歩き出した。
すると、極楽は黙ったままのカブキの背中に向かって
「カブキ」
と呼びかけた。カブキは足を止めず、壁に手を掛けた。
極楽はふう、と疲れたようにため息をついてぽつりと言った。
「お前を恨むわしの気持ちは変らん。しかし卍丸はの、後悔しとらんようじゃったぞ」
カブキの背中が、その言葉にぴくりと動いた。
「カブキ団十郎の名が入った置き文が見つかった時、全員がお前の仕業だと言い立てた。
当然の事じゃ。だがな、そんな中、卍丸だけはお前の潔白を言い続けたのじゃ」
「……」
「そんな事を言えばますます己が疑われる。わしは卍丸を必死で諭したのじゃがあやつは聞かんかった。
あやつはな…店より、自分より、お主を取ったのじゃ」
背中を向けたままのカブキの肩が、小刻みに震えているように見えた。
「お嬢様を救い出した時も、卍丸は己の事ではなく、お主の濡れ衣を晴らすよう頼んでおった。
お主のあずかり知らぬ事だろうが、お嬢様は卍丸を密かに慕っておった。酷な事よと内心わしは思った。
だがな、お嬢様は立派じゃった。
奉行所がお前を手配しようとした時、率先してお前の潔白のために動いたのは絹お嬢様だ。
旦那様も、奥様も、絹様の気持ちを汲まれて、於荷屋をあげてお主の屋敷の後始末を買われたのだ。
むろん、商売に差し障りがある事を承知の上よ。
お主が救われたのはな、カブキ。絹お嬢様と、卍丸のお陰じゃ。二人の働きがなければ、お主は今頃お尋ね者の身だったろう。
わしはこのままお主を奉行所に突き出してやりたい気持ちで一杯じゃ。
だがの、二人の気持ちを思えばこそ、お前をこのまま見逃してやる」
カブキは何の抑揚もなく
「…ありがとよ…」
と背中を向けたまま言い、そのまま白壁にひらりと飛びのった。
「カブキ!」
極楽はその背中に言葉を投げた。
「ゆめゆめ忘れるでない。二人から貰った命、粗末に扱うのではないぞ!」
極楽の声は、最後までカブキに届いただろうか。
カブキは塀の向こうにひらりと身を翻し、その後姿は闇の中へ溶けて行った。