文鳥  

14.「永の別れ・3」

 

「お嬢さん!いたら返事をしてください!お嬢さん!!」

卍丸は出来る限りの大声を上げて、屋敷の廊下を駆け抜けた。

自分の侵入はもう気づかれている。姿を忍ばせている必要は無い。絹の身も無事確保した。

ならば自分の役目は、出来るだけ絹と極楽から敵の目をこちらに向ける事だ。

絹がまだ救出されてないように装い、出来るだけ自分に注意を引きつけるのだ。

「卍丸です!お嬢さん!どちらにいらっしゃいますか!!」

すると屋敷のあちこちから、揃いの黒装束達が廊下を駆けてこちらに向かってきた。

『いよいよだ…』

卍丸はかちり、と鯉口を切り、まずは前方の黒装束と切り結んだ。勝負は一瞬で決まった。

どう、と倒れた男の後ろ、廊下の前方に三人の男が、刀を構えて卍丸を待ち構えている。

卍丸は駆ける足を止めずに男達の懐に向かって飛び込んだ。

まずは左の男から喉元をめがけ刀を切上げる。そのまま刀を滑らせ、中央、右の男の急所を狙う。

白刃がきらり、と煌くのが見えた瞬間には、男達の喉は一刀の元に切り裂かれていた。

血煙を上げて倒れ伏した男達を飛び越え、卍丸は足を緩めずに廊下を駆け続ける。

すると今度は、背後から駆けてきた男達が二人、同時に卍丸に向かって踊りかかった。

卍丸は正面を向いたまま足を止め、低く腰を落とした。そのまま片足を軸に、大きく刀で円を描く。

それは背後から上段で構えていた男達の腹を薙いでいた。

廊下の左右から出てきた男達は突きで喉を切り裂いた。

これで八人。一瞬のうちに卍丸は黒装束たちを切り斃した。

「つ、強い!」

すべる様な卍丸の剣技を目の当たりにし、敵の攻撃が怯む。

卍丸は尚も廊下を疾走する。

『極楽たちはそろそろ屋敷から出ただろうか…よし、こちらもそろそろ潮時だ』

広い屋敷の中は、まだ申の刻を少し回ったばかりだと言うのに薄暗く翳り始めている。手元も幾分覚束なくなってきた。

勿論無駄死にするつもりなどない。目が利くうちに早くこの屋敷から脱出するのだ。

街中では大勢の人の目もあるので、根の一家もそう思い切ったことは出来ないだろう。

それに外はまだ陽の光が残っている。屋敷から出てさえしまえばどうにでもなる。勝機はそこだ。

角を曲がると、黒装束が今度は四人、死角から刀をを振りかぶって向かって飛び出した。

喉元を絶つ余裕がなく、袈裟に振り下ろして一人を倒した後、次の黒装束の腹を薙ぐと

血で刀の切れ味が落ちたのが手首の感覚で分かった。

卍丸は迷わず刀を離し、倒れている黒装束の刀を掴んで残りの二人を切り斃した。

ひゅっと刀をひとふりして血を払い、鞘を掴むと足を止めずに廊下を走り続ける。

廊下の突き当たりに階段が見えた。卍丸は階段を駆け下り、なおも廊下を駆けた。

足を止めずにあたりに目を配ると、見覚えのある間取りへとたどり着いた。

『よし!このままこの廊下を真っ直ぐ走り抜ければ中庭への出口だ』

卍丸は刀を握り直し、ぼんやり光る出口へと足を速めた。

と、その時。

バタン!バタン!バタン!

と戸が閉まる音が聞こえたかと思うと、急激に卍丸の視界が暗くなった。初めて卍丸の足が止まる。

瞬時に、鎧戸を閉められて光を遮られたのだ、と悟った。

…俺の目を知ってる奴の仕業か…

「随分大暴れしてくれたなあ!ええ?卍丸よう!」

階段の上から、聞き覚えのある男の声が響き渡った。

「…菊五郎…」

「おっと、覚えていてくれたとは嬉しいぜ。大店の用心棒さんは俺みてえなチンピラなんぞ

ゴミ屑ぐれえにしか思ってないかと思ってたぜ」

菊五郎の声に混じって、大勢の足音がばらばらと卍丸の周りに聞こえた。

…囲まれた…

卍丸は刀をきつく握り直した。

「随分派手にやってくれたなあ、おい小僧。屋敷中テメエの切った死体がゴロゴロしてやがるぜ。

テメエのなりを見てみやがれ。頭から血塗れで、まるで鬼のようじゃねえか。

くくく…これじゃあどっちが悪党か分かりゃしねえ

っと、まあ、見ようにも今のテメエにゃあ見えねえようだがな」

「…………」

真っ暗な視界の中に、ちらちらと明かりが見えている。黒装束達は各々明かりを持っているのだろう。

自分にはぼんやりと明かりを確認するしか出来ない。

しかし他の者にはそれで十分な視界が得られるのだろう。万事休すか。

「待ち焦がれてたぜェ。卍丸。俺はな、こんなトコでぐずぐずしてる時間はネェんだよ。

さっさとお前を始末して、ケジメを着けさせて貰うぜ!」

菊五郎の声が、卍丸のいる方角に向かって移動してくる。

それと同時に、黒装束達の気配も、じわりと卍丸に近づいたのが判った。

『くくく。覚悟しやがれ卍丸。目が見えねぇテメエなんざ赤子と同じなんだよ。』

菊五郎は喉の奥で低く笑った。が、次の瞬間、卍丸の姿を見ると思わずぎくりと足を止めた。

何を思ったか、卍丸は構えを解くと刀を鞘に戻し、そのまま静かに目を閉じたのである。

これには菊五郎をはじめ、黒装束たちも気を抜かれた。

『なんだこのガキ。死に物狂いで向かってくるかと思ったら…逃げ場がないと観念しやがったのか』

菊五郎が怯んだその瞬間、黒装束が無言で合図を交わすと、一気に卍丸に向かって三人が躍りかかった。

「ま、待て!そいつは俺が…!!」

菊五郎の言葉が終わらないその刹那、目を閉じたまま卍丸の刀が一閃した。

「…………!!」

何が起こったか判らなかった。

その場にいた一同が我に返ったのは、卍丸が再び刀を鞘に収める、カチリ、という音が聞こえてからだった。

三人は喉元を切り裂かれて絶命し、どう、とそのまま倒れ伏した。

菊五郎の歯がガチガチと音を立てた。

『な、なんだ今のは…何が起こりやがった…あのガキ、目が見えねえってのは嘘だったのか…?』

不用意に近づけば、卍丸の刀は自分に襲い掛かってくるだろう。

一歩を踏み込みあぐねている横で、再び黒装束が今度は左右から二人襲い掛かる。

卍丸は今度はハッキリと腰を落とし、電光石火の勢いで抜刀した。

まずは抜いた刀で左の喉元を捉え、そのまま右の首筋をするりと撫でて再びカチリと鞘に刀を収めると

二人は血を吹き上げながら崩れ落ちた。

『こいつはまぐれじゃねえ…!あのガキ、正確に狙って斬って来やがる……!!』

先程の三人に加え、両側から一度に襲い掛かった敵の喉元を切り裂いた卍丸の剣技を見せられ

黒装束たちに明らかに動揺が走った。卍丸の間合いに踏み込めるものもいない。

すると、卍丸は剣に手を掛けたまま、するりと一歩踏み出した。

「………!」

黒装束たちはびくりと後ずさる。卍丸は出口に向かって歩みを進めた。

極限まで張り詰めた神経のため、卍丸の額から尋常ではない量の汗が滴り落ちる。まぶたは相変わらず閉じられたままだ。

『よし。このまま後少し進めば出口のはずだ。外に出てしまえばまだ夕暮れの日が残っているだろう』

自分を恐れて距離を取っている黒装束達の気配を、油断なく探りながら卍丸は出口に向かって進む。もう少しだ。

菊五郎は、卍丸の姿を見送りながら、ギリギリと歯を噛み締めた。

『ここでヤツを殺れなかったら、俺は何のために黄泉の手下に成り下がった。角は何のために死んだんだ!

畜生…どうなったって構やしねえ!俺が一太刀でも浴びせねぇと浮かばれネェんだよ!』

菊五郎は刀を握り締めて卍丸に向かって駆け出そうと身を乗り出した。

すると、自分の背後から、熱く昇った血を凍りつかせる、静かな声が聞こえてきた。

「止めておいた方がいいな、菊五郎。お前もあの小僧に切られるのが関の山だ」

思わず振り返ると、薄笑いを浮かべた黄泉が、面白そうに卍丸を眺めている。

「……居合いか。」

「い、いあい?」

「あの小僧、見えない目はさっさと諦めて、気配をたよりに立ち会うことにしたのだ。

そうなればやたらに刀を振り回すより、刀を抜いたと同時に勝負が決まる居合いの方が

勝算が高いと踏んだのだろう。」

「…………」

やはりあのガキの目は見えていやがらなかった。しかしあの野郎、居合いまで使いやがるとは。

ココまで来て又アイツに目の前から堂々と逃げられるのか。

「屋敷で散々切り散らしてきた後だろう。そんなのを見た後大騒ぎをして飛びかかれるやつもいまい。

恐らく皆間合いをとって仕掛けてくるに違いない。そうなると尚更気配が掴みやすい…と、小僧がそこまで読んでいるかは

判らんが、実際お前たちはそうやってあの小僧を取り逃がそうとしているのだろう?

菊五郎、お前とあの小僧では、少々役者が違うようだ。」

黄泉にやり込められても一言も返せない。心なしか何時もより、黄泉は饒舌になっている。

「…………惜しいな。」

「え?!」

菊五郎が目を上げると同時に、乾いた音が屋敷に響き渡った。

「……!」

最初はやはり、熱い、と感じた。

卍丸は強い衝撃を右肩に受け、思わず刀を取り落とした。

「……が…っ!」

かしん、という刀の音に菊五郎が卍丸を見ると、肩から血を吹き出して、出口の前で蹲っていた。

「言う事を聞かぬ文鳥は、羽をもいでしまうのが良いだろう?」

まだ煙の上っている短筒を持ったまま、黄泉が卍丸から目を離さずに言った。

 

卍丸は暗闇の中で、自分に何が起こっているのか必死に頭を巡らせていた。

襲い掛かられる気配はなかった。あと少し、出口の扉に、指先が触れてさえいたのだ。

「……く」

肩の熱は、今やハッキリとした激痛に変わっていた。押さえた掌から溢れている生温い水は恐らく血だろう。

頭の芯が、すう、と冷えて、意識が遠のきそうになる。

いけない。ここで意識を手放したら、確実に訪れるのは死だ。

「うおおおっ!」

雄叫びを挙げて、四人の黒装束が襲い掛かった。卍丸が手傷を負った事と、黄泉の姿を認めたことで

恐怖心が飛んだのだろう。

「……っ…くっ!」

卍丸は取り落とした刀を掴み、敵に向かって大きく振った。

その太刀筋は、とても手傷を負ったものとは思えなかった。四人は腹を裂かれて倒れこんだ。

一同の動きが再び止まる。

「あのガキ、化け物か!」

だが、卍丸もそれが限界だった。肩の感覚が全くなくなり、刀をついに取り落とした。

『だ…めだ…ここで気を失ったら…何としてでも外に……』

左手で刀を取りに行く。ぐらりと重心を崩したが、それでも直ぐに刀を杖に立ち上がった。

すると、あたかもそれを待ち構えていたかの様に、思い切り蹴り倒された。

「あ……ぐっ…!!」

「残念だったな。小僧」

冷たい声が自分に降りかかってくるのと同時に、傷のある肩を思い切り踏みにじられた。

「あ!!…ア…!……がはっ!!」

余りの激痛に気が遠くなる。

頭の上の声は低く続けた。

「惜しいな…貴様。菊五郎に殺らせてしまうのは実に惜しい。」

だ…れだ…聞いた事のない、声。

「小僧。せめてもの情けだ。この黄泉が自ら引導を渡してやろう」

ヨミ…コイツが……

卍丸のこめかみに、ごり…と冷たい金属の筒が押し当てられた。

黄泉が引き金をぐぐと握り締めた時、筒越しに卍丸が震えているのが判った。

恐ろしさに身を震わせているのだろう。やはりガキはガキだったかと黄泉は卍丸の顔を覗き込み

−−−そして息を呑んだ。

 

卍丸が、声を殺して笑っていたのである。

 

「貴様、どういう……」

すると、バリン、という大音響と共に、キナ臭い煙が急速に立ち込めてきた。

「何だ!!」

「火…火だ!!」

いつの間にか屋敷のあちこちから火の手があがっていた。屋敷の周りからは男達の怒声が聞こえてきた。

「ざまァ見やがれ!根の野郎ども!」

「俺たち火の一家は死んでも手前等の好きにゃあさせねえゼ!」

 

「…どういう事だ……」

火はもはや手がつけられないほど燃え広がっていた。

黄泉は唖然と息をのんだ。黒装束たちは慌てふためき、我先にと外に逃れようとしている。

と、今度は目前の出口からも火の手が上がった。火は外から放たれているのだ。

「……火…の…」

黄泉の足元、踏みつけられたままの卍丸が低く声をあげた。

「小僧…貴様……?!」

「火の、一家の残党に…俺が、大声をあげてお嬢さんを呼んだら

奥座敷から順に、火を、放ってもらう…よう…頼んだ……

案の定、あんた等…俺一人に手間取って、こんなに火が回るまで気が…付かなかっただろう?」

「…貴様!!」

「屋敷が焼け落ちたら…お上の取り調べも入る。…今頃お嬢さんが、於荷屋の危急も知らせてくれてる…

近江を…カブキの屋敷を…アンタの好きにさせて…たまるか…」

卍丸は、踏みつけられたまま半身をぐぐと起こし、見えないはずの目でしっかりと黄泉を射抜きながら

「ざまあ…みろ…!」

と言った。

「小僧が…っ!!」

ここに来て黄泉は、かつてないほど激昂し、卍丸の肩を強く蹴り飛ばした。

「……アアァ!!」

卍丸は仰向きに倒れ、倒れた右肩は尚も黄泉が踏みつけた。

「……!」

もはや声も出ない卍丸に、黄泉は銃口を向け、低く呻いた。

「やってくれたな…小僧。ここは一旦仕切り直さねばならん…貴様のお陰でな」

再び銃口が頭に押し当てられた。

ああ、いよいよ俺もここまでか、と薄れゆく意識の中で卍丸は思った。

見えなかった目は、今になって炎の明かりでぼんやりと光を取り戻している。

炎を背に、怒りに身を震わせている長身の男がうっすらと見えた。こいつが、黄泉か。

だが、光を取り戻したはずの目は再び霞み始め、開いているのにすうと眼前が暗くなった。

恐らく自分が死ぬ時は、生まれ育った火多の村や、母の顔を思い浮かべながら逝くのだろうと

卍丸は、漠然と思っていた。

だがしかし、今、見えない目の裏に浮かぶのは、楽しそうに笑うカブキの顔だ。

『…一緒に…飛びたかったな……』

「…カブキ…」

声は出ず、唇だけで呟いた。

『カブキ…最後に笑った顔が見れて良かった…でも、きっと、カブキは俺のこと許してくれな…』

卍丸の意識はそこで突然断ち切られ、今までとは違う真の闇に、急速に飲み込まれていった。

 

 

カブキの屋敷は、一晩中燃え続けた。

しかし火消しの懸命な働きで、奇跡的にも延焼は一切起こらなかった。

於荷屋主人と女将は、無事に戻った絹に涙を流して歓喜し、絹から事の次第を聞くと素早く奉行所に届け出た。

連絡を受けた奉行所は、早速カブキの屋敷に向かったのだが、その時既に屋敷は業火に包まれていた。

焼き尽くした屋敷跡に奉行所や岡っ引が足を踏み入れた時、この屋敷に手がかりと言えるものは皆無だった。

カブキの屋敷が焼け落ちたと於荷屋に連絡が入ると、主人は青ざめて立ちすくみ、女将はそのまま倒れこんだ。

極楽ですら眩暈を覚え、お嬢さんに何と伝えればいいのかと言葉を失った。

しかし絹は

「卍丸は死なぬと言いました。きっとあの屋敷から出ているはずです。…私は卍丸が戻るまで待ち続けます」

と気丈にも涙一つ見せずに言い、言葉通り自分の部屋にこもったまま、朝な夕なに卍丸を待ち続けた。

夜もほとんど眠らず、食事も一切取らなかった。

今度は絹が倒れてしまうと周囲が案じている中、二日目にカブキの屋敷跡から

於荷屋の紋が入った剣を握った亡骸が見つかったと言う知らせが届いた。

顔も判らない程焼け焦げたその亡骸は、背丈も卍丸とほぼ同じ位、出口のほんの手前で見つかったのだと言う。

頭に小さな孔が開いており、その傷が致命傷だろうと言う事だった。

「焼け死んだのではありません。幸いな事に…恐らく…苦しまずに逝けたと思います」

極楽から報告を聞いた絹は、ぷつりと糸が切れたように倒れ、そのまま堰を切ったように泣き崩れた。

 

於荷屋主人は亡骸を引き取り、於荷屋の菩提寺である比叡山に懇ろに弔った。使用人としては破格の扱いである。

又、火多の母にも手厚い礼を包み、主人自ら赴いた。卍丸の母は、取り乱す事もなく

「卍丸は、於荷屋様に最後までご奉公できて幸せでした。有難うございました。」

と恐縮する主人に向かい丁寧に頭を下げ、礼の包みはどうしても受け取らなかったという。

 

そして、全てが落ち着きを取り戻し始めたその頃

カブキ団十郎は京より近江にようやくたどり着いた。

屋敷が焼け落ちてから七日目の事である。

 

 

文鳥13「月光」へ続く。