文鳥  

10.「京」

カブキ団十郎は、悠然とその巨大な門の前に立った。

京に入ってからたっぷりと時間を取っていた。黄泉の屋敷に急ぎ訪問しなかったのにはそれなりの理由がある。

(へっ。仰々しい門なんぞ構えやがって。堅気が聞いて呆れるぜ)

城砦のようなその門扉を見上げていると、早速数人の根の配下がばらばらと駆け寄る。

「よお。手間かけさせて悪ィんだけどよ、黄泉の野郎が居やがったら通してくれネェか」

「カブキ…団十郎!!」

手下達の顔色が変った。

(ヘェ、俺の顔を見知ってやがったか。コイツは話が早ェや)

配下まで俺の顔が知れ渡ってるとは、根の一家の中でさぞかし俺は目障りなんだろうよ、

と、カブキはいつもの様に口の端に笑いを乗せた。

実は根の配下だからと言うわけではない。カブキ団十郎の名前は、近江近辺から京まで知れ渡っていた。

元々派手好きな性格に加え、今や京の一大勢力である根の一家と、小国である近江の一家が堂々と渡り合っているのだ。

物見高い京の町人達にとってこれ以上の娯楽は無い。

虚実取り混ぜた瓦版も飛ぶように売れ、カブキと黄泉の動向は、逐一京の町人達へと伝えられていたのである。

 

ややあって城砦への門扉が重々しく開かれた。

カブキはそれと知られぬように刀を握り直し、屋敷へ足を踏み入れた。

 

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「ようやく動いたか。このまま放っておく男ではないと思っていたがな」

「如何いたしましょうか。」

主のいない天守閣。

痩せぎすの背の高い男が、窓の外を眺めながら部下の報告を聞いている。

部下からは影となっているため、男の表情までは伺う事は出来ない。

しばしの沈黙の後、落ち着いた声で男は続けた。

「何。心配する事は無い。黄泉様が指示されていた通り事を運ぶまでよ。カブキの配下は何人だ?」

「いえ、それが、カブキ一人です」

「何?」

言って男は初めてこちらに顔を向けた。驚きで目を見張っている。

「むう。……肝が据わっているのか、無鉄砲なのか。

どれ、久しぶりのカブキ団十郎に対面と行くぞ。」

「かしこまりました」

「惜しい男ではあるが仕方が無い。手はず通り奴を生きてこの屋敷から出すな。」

言うと男は青白い顔に、にやりと薄気味の悪い笑顔を貼り付けた。

 

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外から見ると堅牢な城のように見えるその屋敷の中は、外見とは打って変って絢爛な造りだった。

梁一本、柱一本とっても凝った装飾が施され、広い廊下は磨き込まれている。

所有者の権力を知らしめるようなその造りに、カブキはフン、と鼻を鳴らした。

(全く油断ならねえ狐だな)

と、案内係の後を歩きながら、カブキはすばやく屋敷内に目を配った。

通された部屋は屋敷の一番高い棟にあった。同じ棟には黄泉の部屋もあるらしい。

こちらも派手さはないが凝った作りの室内で、装飾が施された欄干が高い天井を飾っている。

カブキはどかりと腰を下ろし、館の主人を待った。

ややあって

「黄泉様は所用により不在にしておられます。お久しぶりです、カブキ様。御用の向きは私が承ります」

言って奥から血色の悪い、先の痩せぎすの大男が姿を現した。それはカブキの見知った顔だった。

「よお、手前か、死神」

「死神……と呼ばれるのも久しぶりですね。

今は極道家業は引退いたしました故、その通り名は使っていないのですよ」

死神と呼ばれた男は、青白い顔に何の表情も出さず、静かな声でカブキに返した。

「へっ。血気盛んだった手前が嘘みてぇだな。極道引退かい、そりゃあお目でてぇこって。……まっ、」

と、一旦カブキは言葉を切ってから

「その腕じゃあ兵隊は出来ねえだろうからよ。俺様がぶった切ってやった腕の調子はどうでェ?」

と、片方の口の端を上げながら死神を睨み付けた。

その言葉に、青白かった死神の顔にさっと血の気がのぼる。額に何本もの青筋が立った。

死神は左手で、己の右の手首を押さえた。そこにはあるべきはずの右手が無かった。

死神の顔が、怒りでぎりり、と歪む。

カブキは近江と京の幾度かの小競り合いの時、死神と対峙した事がある。

この男の性格について、カブキはその時の経験で熟知していた。

今は冷静な顔を装っているこの男だが、一度火が付いたときの凶暴さは尋常ではなかった。

それこそが「死神」と呼ばれる通り名の所以である。

(まっ。逆に言ゃアそこが付け入る隙なんだがな)

「あなたは相変わらずですね……一人敵の陣中にいてその軽口とは。」

しかし死神は、震える左手で右手首を指先が白くなるまで握り締め、

己を落ち着かせるように大きく息を吐くと、何とか顔を繕いつつカブキに問いかけた。

「あなたの事だ。私たちが堅気になったと言ってもどうせ信じてはいないのでしょう?

そのあなたが、何故一人でここに出向いて来られたのですか。」

ここで死神は一旦言葉を切り、カブキの背後に目をやった。

そして

「一応聞いておいてあげますよ」

と続けた後、すうと目を細めて笑みの形にした。

(どうやら俺がここに来る事はこいつ等の予想内だったらしいな。しかし何だって黄泉の奴が姿を現さねえ)

「何、招きに応じたまでよ。手前等、俺が来るまで近江で殺しを続けるつもりだったんだろう。

俺の縄張りで勝手に踊ったらどうなるか、一つ教えてやろうと思って出向いてやったのよ」

言うとカブキは死神に挑むように睨み付けた。死神は視線を外し、カブキの背後に又眼をやった。

カブキは二度外されたその視線を見逃さなかった。

 

かちり、とかすかな音が聞こえたのと、カブキが刀を畳に突き刺し、そのまま畳を跳ね上げたのは同時だった。

パン!パン!と軽い音がして、カブキが立てた畳に穴が開いた。

仕留めたとばかり思っていた部下が、襖の向こうで予想外の事にうろたえて立っている。

カブキは背後に向かってそのまま畳を投げつける。銃を構えた男は避けるのが精一杯だった。

目を上げるとそこにはもうカブキが迫っていた。カブキは黙って男を切り倒し、投げつけた畳ごと男を踏み越えて廊下に出た。

「手前等!出てきやがれ!カブキ団十郎は一人だ!黄泉様の命令どおり、あいつを仕留めて名を挙げろ!」

取り繕う事も忘れ、死神が声を張り上げる。

根の配下達がその声を合図に廊下へと躍り出た。

(馬ー鹿。何の為に俺が一人で出向いてやったと思ってやがるんだよ。)

カブキは二本の刀を振り回し、切りかかってくる敵を、片っ端から切り結ぶ。

広い豪奢な廊下は、刀を振り回すのに十分な広さである事は、ここに通される時確認済みだった。

一方根の配下は、廊下の切りあいのためカブキを取り囲む事ができず、一斉に切りかかれない。

しかもリーチのある長剣である。容易にカブキに近づく事も出来ず、廊下に並んだまま距離を測りかねていた。

カブキは自ら根の一家の中に切り込み、背を低く屈めながら敵の足元を一閃した。

脛を切られた部下が三人、どう、と倒れ、後ろに続く部下達が後ずさる。

と、カブキはすばやく身を翻し、今度は敵に背を向けて何故か出口とは逆の内部へ向かって走り出した。

追っ手も後に続くが、敵を切り倒しつつ屋敷内を走り抜けるカブキを止められる者はいない。

いよいよ天守にたどり着こうかという頃、カブキの前に、先回りした根の部下達が立ちはだかった。

カブキは足を止めずに懐から包みを取り出すと、敵の足元に投げつけた。

部下達が包みを覗き込むと、包みの先から一本の紐が垂らしてあり、何時の間にやら火が付いている。

「火薬だ!!逃げ……」

言い終わる前にドン!と派手な音を立て、包みは爆発した。

「悪ぃな。俺は派手好みで花火が好きだからよ。」

倒れている部下達を跳び越え、煙を裂いてカブキが更に奥へと突き進む。

「手前等!一人相手に何もたついてやがる!刀が駄目なら飛び道具でも持ってきやがれ!

この先は袋小路だ!一気になだれ込んで片を付けるぞ!!」

言って銃を片手にした死神を先頭に、根の配下達が天守閣になだれ込んだ。

襖を開けると、そこは場違いなほどにしん、と静まり返り、

カブキ団十郎はそれこそ言葉通り、煙のように立ち消えてしまっていたのである。

 

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根の部下達は、窓の外から屋敷内までカブキをくまなく探し回った。

しかしカブキはおろか、逃亡した痕跡すら発見する事はできず、死神の元へ報告に上がった部下達は声も無く後ずさった。

頭に血が昇ったこの男の狂気を、身をもって知っているのは皮肉な事に根の身内だったからである。

死神は無言で立ち上がり、銃把で側にいた部下の横面を殴り倒した。

ぐしゃり、と嫌な音がした後、殴られた部下は「ぐう…」と呻いて崩れ落ち、そのままぴくりとも動かなくなった。

冷静だった先ほどの様子とは打って変り、額に浮かんだ幾筋もの血管はぴくぴくと脈打ち、怒りを孕んだ目は充血していた。

死神の凶暴さが爆発するのかと、部下達は恐々として身を縮こませた。

怒りの余り震える体を残った左手で押さえつけ、青白い顔をした死神はやっとの事で己を落ち着かせた。

青筋を立てたまま誰に聞かせるでもなく死神は呟くように言う。

「まあいい。カブキを足止めさせた事で我々の役目は果たせた。後は黄泉様が守備を運んで下さっている筈だ。

カブキが近江に帰った所であやつが戻れる場所はもはや無いのだからな。

くくくっ……その時のあやつの顔が見物というものよ。」

狂気を含んだ低い笑い声を、部下達は平伏したまま頭の上で聞いていた。

 

(行きやがったな)

薄暗い地下に通じる通路で、カブキは敵の足跡が遠ざかっていくのを聞いた。

(こういう強固な屋敷を作ってる奴は、絶対に普通の出入り口の他に

抜け穴を作ってあるに違ぇねえとアタリをつけたが正解だったぜ。

そしてその抜け穴は大将、黄泉の部屋にあると相場が決まってるんだよ)

カブキが京に入ってから黄泉の屋敷を訪れるまでに時間を要したのはこのためであった。

屋敷を見下ろせる高台から、カブキはたっぷり二日をかけて屋敷の作りを頭に叩き込んだ。

内部に入るのは無論初めてだが、控えの間に通されるまでに外観と屋敷内を照らし合わせ

部屋の見当をあらかたつけていた。そして恐らく城で言う天守閣が黄泉の間と踏んでいたのだ。

無論こんな事はは幾ら外から眺めていても常人には出来る訳ではない。

たった一人で何組もの一家を潰し、屋敷や組の内情に精通したカブキだからこそ出来る芸当である。

こういう目眩まし的な戦いはカブキが最も得意とする所だが、いかんせん部下と一緒では上手くは立ち回れない。

一人で屋敷に乗り込んできた死神の目にはカブキが無謀に映ったのだろうが、

むしろ自分を良く知っているカブキならではの選択だったのである。

(しかしいきなり俺の命を狙ってきたり、黄泉の野郎がとうとう出てこなかったのはどういう訳だ。

警護が少々手薄だったように思えるのも気になるぜ。……兵隊達は何処に行きやがった。)

カブキは気配が完全に消えたのを確認すると、恐らく京の町外れに出るであろう秘密の通路を歩き出した。

(何にしても近江が気にかかる。急いで戻るに越した事ぁネエな)

知らずカブキの足は早足となって近江へと引き返していた。

 

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自分を呼ぶカブキの声が聞こえたような気がして、卍丸は通りに目をやった。

「……気のせい……だよな」

今日は絹の琴の稽古日であった。

師匠の屋敷からは絹の琴の音と、拍子を取る師匠の声が微かに聞こえてくる。

門の前に控えながら、知らず泳がせた目に気が付いて、卍丸は一人赤面した。

昨夜、カブキと於荷屋の炭小屋で交わした会話が頭から離れない。

カブキは今どの辺りだろうか。

 

『卍丸、お前にはお前の世界がある筈だ。お前はそれを守れ。

俺は俺の世界を守る為に、ちいとばかり行って来るぜ』

 

(カブキ……)

最後にカブキが残した言葉を思い出して、卍丸は思わず胸元をきつく握り締めた。

(もう会えないなんて事ないよね。もう幾日かしたら、又あの軽い口調で俺をからかいに来るんだよね)

ここまでの道すがら、ともするとカブキに思いを馳せてしまう自分を叱咤しながら

いつもの様に絹の後ろに控えつつ、卍丸は歩を進めていた。

店からの外出の際、卍丸は決して絹の隣に並ぶ事は無い。

必ず半歩以上の距離を置き、無言のまま絹に付き従うのが常であった。

いつもならば多少の開放感もある街歩きは、卍丸の心を浮き立たせた。

又、菊五郎との一件があってからは、絹の周辺に一瞬たりとも気を抜かなかった為

余計な事に気を回すことも無かった。だが今日の自分は集中力に欠けている。

無言で歩いているとどうしてもカブキの事ばかりに気が行ってしまう。こんな事ではいけない、と卍丸は頭を振った。

「卍丸、昨日の荷卸の、足元の話を聞いた?」

「え?」

いつもは卍丸の意を汲んで、道中話しかけてこない絹が唐突に振り返って話しかけて来た。

「足元ったら普段からあの調子でしょう?荷卸の時は益々回転が上がって

見てるこっちの方が可笑しかったって三助が教えてくれたのよ。」

快活に絹は話を続ける。

「……ああ、確かに全ての荷は足元さんを一旦通されるからお忙しそうでしたね」

「でしょう?そしたら三助ったら『足元の旦那はまるで江戸で人気のからくり人形みてえでしたぜ』

なんて言うのよ。まるで頭から湯気が出そうだったって。

私失礼とは思ったけどあんまりピッタリだったんでつい笑ってしまったのよ。

今朝から足元を見る度吹き出しそうで困ったわ」

卍丸も昨日の足元のせかせかした動きを思い出し、思わず吹き出した。

「それでね、三助ったらね……」

絹は気さくな調子で話し続ける。相槌を打つ卍丸の顔も知らずほころんだ。

そうこうしているうちに師匠の家にたどり着き、絹は太い松の横にある門をくぐり抜けた。

玄関に入る前、絹は卍丸へと振り返り

「卍丸、私は卍丸の味方よ。何があってもよ。」

とちょっと微笑んで屋敷の中へ姿を消した。

絹は事情は分からずとも、卍丸の異変に気づいていたのだろう。

守るべきお嬢様に気遣われた、という至らなさと

下働きに過ぎない自分への、絹の思いやりが身に沁みた。

玄関へ姿を消した絹を見届けた後、しかし卍丸は何処へ行く気にもなれずに門扉の横に腰掛けた。

一人になると矢張り胸がふさがるような思いがする。

少し前ならばこんな時、どこからともなくカブキが現れて、笑いながら会話を交わしていたのに

今となってはそれが遠い昔のようだ。

カブキと話していた事なんて、本当に他愛無い事ばかりだ。

(なのにどうして、カブキが居ないだけで、こんなに置き去りにされたような

空っぽになってしまったような気持ちになっちまうんだ)

無性にカブキの声が聞きたかった。

もう一度その腕に触れてみたいと、卍丸は切に思った。

(カブキ、俺待ってるよ。だから早く近江に戻って来て。又俺に会いに来てよ―――)

卍丸は膝を抱え、そのまま抱えた膝に顔をうずめて、きつく目を瞑った。

 

どれくらいそうやっていただろう。

卍丸は師匠の家から、琴の音が途切れているのにふと気が付いた。

……珍しいな……

しばらく様子を伺っていたが、何時も聞こえる調子を取る音も、話し声すら聞こえない。

「……!」

卍丸は勢い良く立ち上がると、師匠の玄関の戸を叩いた。

「失礼します!御免ください!」

幾ら呼びかけても、屋敷内はしん、としたままで返事が戻る事はなかった。

卍丸は土足のまま、師匠の家へ駆け上がった。

 

「お嬢さん!師匠!どちらにおいでですか!!」

大声で呼びながら屋敷の奥へ続く廊下を走っていく。無意識に刀へ手をやっていた。

すると、襖の向こうに血まみれで倒れている若い女を認め、卍丸の顔色が変った。

卍丸は襖を突き破らん勢いで部屋に飛び込んだ。

女を抱き起こしたが既に事切れていた。胸に小さな穴が開いていた。

彼女の顔には見覚えがあった。この屋敷で働く小間使いの少女である。

「絹おじょう……」

小間使いの少女をそっと横たえると、卍丸は走り出し、片っ端から襖を開け放った。

すると、屋敷の一番奥の部屋、掛け軸がかかった床の間があることから客間であろう部屋で

琴が二面置かれたまま、その横で倒れ伏している師匠を発見した。

師匠も血まみれで倒れており、助け起こすまでも無く息が無いのが見て取れた。

「お嬢さん!絹お嬢さん!!返事をしてください!お嬢さん!!」

卍丸は声が枯れんばかりに大声で呼びかけた。しかしその声も、しんとした屋敷に吸い込まれるようにして消えた。

「お…じょう……」

ふと掛け軸に違和感を覚え、卍丸はそちらに目をやった。

掛け軸の絵の上に、半紙に描かれた文が留め置かれてあった。

 

(於荷屋 絹は預かった。五体満足で戻して欲しくば一万両用意する事。

尚、金の受渡には明日、申の刻に

戦国卍丸一人で以下の場所に来るべし。

カブキ団十郎)

 

……そういう事か

卍丸はギリギリと唇をかみ締めた。

唇がぶつりと切れ血が流れ出したが、卍丸は構わず文を睨み付けた。

 

 

文鳥11「陣羽織」へ続く。